カンボジアで知る子供の権利

vol.40 19 Dec 2001
JICA客員国際協力専門員 杉下恒夫

ここのところ、同じテーマの話を続けて書くことが多いので、他の話にしようかとも思ったのが、どうしてもこのコラムに書いておきたい話があるので、今回、もう一度だけカンボジアでの話を書きたい。それは、前回同様、11月半ば、日本のJICAとカナダのCIDAの共催でプノンペンで開かれた「平和構築合同評価会議」に出席した際、現地で出会ったカンボジアの女の子たちのことだ。

私は世界各地で実施されている日本のODAプロジェクトを数多く視察させてもらっているほうだと思うが、カンボジアのODAプロジェクトは、これまで一回も訪れたことがなかった。そのことを松田教男JICAカンボジア事務所長らに話したためか、会議のスケジュールをやりくりして、いくつかのプロジェクトを案内して頂くことになった。プノンペン市内の母子保健プロジェクト、チュルイチョンバー橋(日本橋)、コンポンチュナン州の「カンボジア地雷対策センター(CMAC)」などのプロジェクトだ。どれも現在のカンボジアのニーズに応えた的確なプロジェクトだという印象が残る。

こうして訪問したプロジェクトの一つにタケオ州やコンポンスプー州で行われている三角技術協力があった。これはASEANから技術者を派遣して日本が技術指導と資金を負担するというユニークな三角協力プロジェクトで、これまでに200以上の村落で実施され、地方農民の生活向上などに成果を挙げているという。タケオ州の三角協力プロジェクト「ドレスメーキング・プロジェクト」では、タイからきた女性専門家の指導のもとに工業用ミシンを使ってドレスメーキングの訓練が行われていたが、この訓練を修了すると公務員の月給より高い、月40ドルの給料がもらえる縫製工場への就職が斡旋されるとあって、まだ幼さを残した10代の十数人の女生徒の表情は真剣そのものだった。

忘れえぬ少女たちに出会ったのは、コンポンスプー州の三角協力「農村開発プロジェクト」の識字教室でのことだ。ここでは、思わぬ喜びもあった。フィリピン人の専門家らとともに指導をしている日本の女性青年海外協力隊員が私に声をかけてきたのだ。はじめはちょっと誰だが分からなかったが、よく見ると私が二本松青年海外協力隊訓練所で行っている派遣前訓練での講義を受けた隊員候補生の一人だった。今はすっかり仕事に馴染んで、生き生きとした表情のこの隊員は私の講義の内容まで良く覚えていてくれてかえって恐縮してしまった。

授業が始まった。生徒は内戦で学ぶ機会がなかった村の主婦、それに貧しくて家族の手伝いに追われ、通常に学校に行けない子供たちなど約15人。その中に栄養不足のせいか小さくまだ、10歳ぐらいにしか見えない少女3人がいた。裸足に茶色く変色して、今にも破れそうな服を着た少女は、お使いの帰りとかで、椅子の横には底にわずか3センチほどの油が入ったビンが置いてある。少女たちは日本人の先生が教える複雑な形のクメール文字を貸与された手元の小さな黒板に必至に書き写している。時々、先生の目を盗んで、隣の同級生の肩をつついたりしてふざけたりするのだが、3人とも一時間ほどの授業が楽しくて仕方がないといった様子なのだ。

新しい知識を得る権利、同世代の子供と遊ぶ権利、日本など先進国の子供にとっては当たり前の権利がここではすべての子供には行き渡っていない。彼女たちはほんのわずかな時間,得たその貴重な権利を目一杯楽しんでいるのだ。「学ぶこと」「子供同士で遊ぶこと」が人間にとってこれほど重要なことだったのかと改めて知らされる光景でもあった。

輝くような少女達の顔を見ながら私は、カンボジアのすべての子供たちに一日も早く自由に学び、自由に遊べる権利が与えられる日が来ることを祈らざるを得なかった。