本当に情報源秘匿の必要性はあるのか

vol.123 27 July 2005
JICA客員国際協力専門員 杉下恒夫

「人には言わないでくださいよ」とか「ここだけの話しですが」といった類の言葉で始まる会話にろくな話があったためしはない。いかにも秘密めかし、相手を信頼したそぶりをして話すのだが、実は自分に都合の良い話だけを歪曲して伝えていたり、特定の人やグループを誹謗する話になっていたりすることが多い。

アメリカの元駐ガボン大使の妻が米中央情報局(CIA)の工作員だったということが保守系のコラムニストによって暴露されたCIA工作員情報漏えい疑惑で、この情報を流した情報源の開示を巡り、アメリカばかりか世界のマスコミが揺れている。

6月27日、米連邦最高裁はニューヨーク・タイムズ紙とタイム誌の上告を棄却、情報源を明らかにする命令を下したが、タイム誌の記者が情報源の許可を得て証言したことで収監を免れたのに対し、ニューヨーク・タイムズの記者は証言を拒否、収監された。どちらの対応がジャーナリストとして正しかったのかは賛否両論が飛び交っているのだ。

「報道の自由」「国民の知る権利」をメディアのよりどころだとする人たちからは、収監されたニューヨーク・タイムズ記者を支持して裁判所や捜査当局を批判する声が強い。今のところ、証言を拒否したニューヨーク・タイムズ記者を讃える声のほうが強いようだが、他方で情報をリークした人物の意図や信頼性に疑問を持ち、そのような情報源を守る必要はあるのかという人たちもいる。

日本の司法判断は必ずしも情報源の秘匿を認めているわけではないが、日本新聞協会は「相手の許可なしに取材源を明かすことは不当な行為」という見解を示している。私も記者になった直後、先輩から「何があっても情報を提供してくれた人の名前や組織を外部に漏らしてはならない。情報源を秘匿することは記者の矜持(きょうじ)であり、基本だ」と教えられた。同時に「情報源の秘匿は記者の職業上の秘密として法的にも擁護される」といわれ、そのようなものかと思い続けてきた。

しかし、長い記者生活の中で幾度か受けた情報のリークには本当の正義感から起こした行動なのか、組織内における自分の立場をよくするために流した情報なのか、はてまたライバルを蹴落とすためにマスコミを利用しているのではないか、と思われる情報もあった。今回のCIAの件でも情報提供者の思惑には政治的な色合いが強い。マスコミの世界で外部からの情報提供を「タレこみ」「駆け込み」といった表現をするのもこうした胡散臭さが漂うからかもしれない。

「タレこみ」は、のちに調査をすると事実と違っていたりして役に立たないものも多いが、特ダネに繋がる可能性もあるだけに記者の功名心を刺激する。だから、タレこんでくれた人物を大切にしたい気持ちも分かるが、記事にする前に情報を提供してくれた人のモチベーションがどこにあるかを見極めることが重要だ。社会正義とか組織改善の気持ちから流された情報ならそれを有意義に使うべきだし、個人的な利益のためにマスコミを悪用しようというものなら即、ボツにすべきだ。

未熟だが私の経験からすれば情報源は必ずしも秘匿する必要はないと思う。自分が正しいと確信しての情報提供であれば、情報提供者は裁判で名前を証言されても恥じることはないはずだ。それだけでなく、情報を所持する人がその情報に不条理や不正を感じたら最初から名前を出して堂々と公開するのもいい。

残念ながら日本では内部告発者に対して“裏切り者的”反応を見せる風土が残る。しかし,名前の秘匿を求めて自分に都合の良い情報をこっそり流す人物こそ厳しく非難されるべきで、自分の信条に従って隠れずに情報を公開する人物に社会が正当な対応を見せる時代が来ることを願わずにはいられない。