あやふやな情報に基づく記事は避けよう。

vol.142 8 May 2006
JICA客員国際協力専門員 杉下恒夫

一部の週刊誌の記事の信憑性があまり高くないことは、多くの人が認識するところだが、2月下旬に発行された週刊現代3月11日号の「巨額津波支援金が消えた!外務省飯村豊大使の疑惑」という記事も首を傾げる記事だった。

この記事に対して外務省は直後に同省のホームページで「我が国のインドネシア向け津波被災支援について 一部報道における事実誤認」という反論を掲載している。少ないスペースなので、反論をここで全部を引用することは出来ないが、いくつかを紹介すると以下のようになる。

1.「日本の支援について『90億5千万円』しか使われておらず、残りの『56億円』の行方が不明である」という記事に対しては、「支援総額146億円の全額の支援が決定しており、『56億円』という差額は入札準備・手続き中の案件や、契約手続き中の案件であり、資金が行方不明ということは全くない」。2.「飯村インドネシア大使の署名がなければ、援助資金は使用できない」という記述に関しては「まったく事実に反する。実施する事業はインドネシア政府が,在インドネシア大使館と協議した上で、主体的に決定したもの。援助資金は日本国民の税金を原資としたものであるから、使途については日本政府の同意を得ることになっているが、一旦決定した案件に関する資金の支出について、飯村大使の署名の必要は一切ない」などだ。

普通の国際ビジネスにおいても入札準備、契約手続きは慎重に行われる。まして、国民の税金を使って実施される被災地支援は出来る限り、不透明な部分をなくし、効率の良い実施を図る努力は欠かせない。記事が行方不明と決め付けている56億円は、そうした正規の手続き中の案件であり、何の問題もない。むしろ、いきなり全額がディスバースされていたらそっちのほうが問題だ。飯村大使の署名の件も外交慣例を知っている人なら一旦、決定した案件の支出の主体者はあくまでも相手国政府であることを知っているはずだ。

この記事はほかの部分も取材が甘く、最初からある種の思い込みで書かれた記事という印象が強い。だが、外務省の反論を全ては信じたくないという人もいるだろう。私もこの間の事情を詳しく取材したわけではないから、これ以上のことは言えないが、ジャーナリストの先輩として、誰にも分かるこの記事の文章の危うさを指摘したい。

まず、この記事は「インドネシア大使館の裏金に回る可能性があります」という鈴木宗男代議士の談話から始まっている。つまり、仮に談話の引用が正確だったとしても鈴木代議士も証拠を押さえているわけではない。可能性という脆弱な推論を土台にして書いた記事なのだ。

もちろん、記事の筆者も現場に飛んで直接、現地での取材を行っているが、すべては相手の言葉をそのまま書いており、記者の基本であるウラ取り作業は極めてお粗末だ。この記事の最大の弱点は、随所に見られる記事の内容とは結びつきにくい曖昧な文章表現だ。物証や証言で追求しきれない部分は「使途が怪しい」、「疑いが濃厚だ」、「どんなデタラメが出てくるかわからない」などという記者の憶測で逃げている。

われわれが若い記者の頃、「へ・も・か」の記事は書くなと言われた。「何々へ」「何々も」「何々か」という記事は確証が握れないから、間違った場合の逃げるための表現法だ。この記事も「怪しい」「わからない」などという言葉で読者の疑惑を高める一方、逃げの手を使っているのは、それだけ十分な取材が出来なかった証拠だ。

稚拙な文章表現もある。インタビューに付けられている「衝撃的な証言が飛び出した」「憮然とした表情で語ってくれた」「戸惑い気味に言う」「次のように嘆いた」といった表現だ。憮然としていたのか、嘆いていたのかは、記事を読んだ読者が引用されている内容から判断するもので、筆者が勝手に付け加えるものではない。

永田前民主党代議士事件の例を出すまでもなく、ジャーナリストが伝える情報は読者の興味を引くだけなく、正確でなくてはならない。永田事件を機にわれわれの仲間の質が問われている今だけに、ジャーナリストとか、記者と名乗る人は全てが社会的責任を自覚して情報の吟味と正確な取材・文章表現を心がけたいものだ。