多くの人間は移住を希望していないのではないか?

vol.143 1 June 2006
JICA客員国際協力専門員 杉下恒夫

最近の国際ニュースに欧米の主要国での移民受け入れ規制を巡るものが目立つ。

アメリカでは上院と下院で多少の温度差はあるものの、入り口(対メキシコ国境)を塞ぐとともに、すでに入国している不法移民の米国内滞在許可を厳しいものにする法案が5月末までに可決されている。フランスでも5月中旬に受け入れ移民を選別する新移民法案が下院を通り、上院の審議を経て今夏にも新移民法が成立する見通しだ。ドイツやイギリスも同じように移民を選別して受け入れる方針が示されており、これらの国の移民政策の変換が今後、国際社会で論議を呼ぶことは間違いない。

アメリカの新政策はアメリカ社会の変質を招く恐れすらある不法移民の急増に歯止めをかけようというものだが、欧州の新移民政策は「選択」がキーワードだ。フランスの新移民法案は、アメリカに流れる傾向にある有能な移民をフランスに呼び込むため、高い技術を有する科学者や、傑出した能力を持つスポーツ選手などに対して優先的に長期滞在許可証を発給する。ドイツ、イギリスの新たな移民政策も国内経済の活性化に貢献する技術者などを優先する方針という。

仏、英、独が目指している移民選別政策は、南太平洋の移民国家オーストラリアが1979年まで実施していた悪名高い人種差別的移民政策「白豪主義」とダブって見える。1901年のオーストラリア連邦成立直後に制定された「白豪主義」(移民制限法)も欧米人の持つ先進技術を優先したほか、大量に流入してくる中国の低賃金労働者を排斥することが目的だった。「白豪主義」は、あからさまに「白人以外の移民は受け入れません」とはしていなかったが、移民の審査がヨーロッパ系の言語で行われたため、実質的には欧州系以外の移民希望者の門戸は閉ざされていた。

オーストラリアは1989年に新移民法を制定、非欧州からの移民希望者の受け入れ窓口をさらに拡大したが、その後、中国などから大量に流れ込んできたアジア系移民が環境破壊、欧州系住民の失業率上昇の元凶として非難の的になったこともある。そのころ、私も新聞社の特派員としてシドニーに駐在していたが、中国、ベトナムなどからの移住者にはあまり居心地の良くない国家に見えた。

だが、豪政府は断固として21世紀のオーストラリアはアジア・太平洋地域に位置する多元文化国家として生き抜くという方針を貫いた。その結果が今日、欧州ともアジアとも違う特異な社会を築き上げ、国家に活気を生んでいる。20世紀後半のオーストラリアは欧州との絆にすがり、とりわけイギリスがEUに軸足を移してゆくに従い活気を失っていたが、現在は経済、社会などの分野でアジア、アメリカなどとの深い関係を構築、国家全体が生き生きとして見える。

JICAの前身のひとつである「海外移住事業団」の主な仕事は、戦後荒廃の中にあった貧しい日本から夢がある南米への移住を希望する人たちの支援だった。昨年末、「ハルとナツ」という南米日系移民をテーマにしたNHKのテレビドラマを見たが、貧しさのゆえに故郷を離れなければならない一家の主の姿が悲しかった。

当時の日本人も、今アメリカやフランスに流れる人たちもほとんどの人は生まれ故郷を離れて生活したいとは思っていないだろう。豊かな家庭、豊かな土地に生まれたなら、移住などせずに親族に囲まれて慣れ親しんだ土地での生活を続けたいと思っているに違いない。欧州人の先祖は、民族移動の末に現在の安住の地を見つけた。多くのアメリカ人も宗教だけでなく経済的理由から新天地に移り住んだ。人が貧しい土地から豊かな土地に移動するのは有史以来の人類の行動パターンだ。

欧米先進国政府が自国民の生活と安全を守りたいという気持ちもわかるが、移住希望者にもう少し優しい政策を採れないものかとも思う。先進国が行うべき事は、移民の流入制限よりも彼らの母国の経済開発を助け、故郷で生活を可能にしてあげることだ。JICAが行っている開発協力はそうした人の移動という視点から見ても、ますます重大な責務を帯びた仕事といえるだろう。