日常生活で見えないエネルギー危機

vol.148 4 August 2006
JICA客員国際協力専門員 杉下恒夫

ガソリン価格がレギュラーでもリッター140円を超すという嬉しくないニュースが流れている。熟年となった最近、近距離の移動はもっぱら徒歩か自転車または地下鉄、私用の旅行の場合は駅弁を肴にビールを飲みながらのんびり車窓を眺めるのが一番と思っている私の懐にはあまり直撃しないが、車を使う仕事をしている人や、マイカー通勤を余儀なくされている人、それに子どもや荷物が多いので夏休みの里帰りなどに車が欠かせない人たちの家計には相当の打撃だろう。

原油価格の高騰の背景には、高度経済成長を遂げている中国やインドの原油消費量の急増が上げられているが、こうした実需のほか、今後も続くと思われる高い原油需要を見込んだ投機マネーの市場への流入も価格高騰の大きな原因だ。この好ましくない高値傾向は今後もしばらく続くことは間違いない。

原油だけでなく国際市場で石炭、ウランなどのエネルギー資源は軒並み値上がりを続けており、過去5年でウラン価格は5・5倍、石炭価格は2倍に跳ね上がっている。ガソリンの値段の例を見るまでもなくエネルギー資源の価格上昇は、すぐにわれわれの生活に跳ね返ってくるものであり、のんびりと構えていられる問題ではない。

だが、これらの緊迫するエネルギー問題を我が身に迫るマクロ的な危機として捉えている日本人が意外に少ないことは驚きだ。かつてのオイルショック時のようにパニックが起こることは避けたいが、それにしても今の日本人および政府は少しのんびりし過ぎてはいないだろうか。トイレットペーパーの買い付け騒ぎを実体験している身としてはずいぶんと歯がゆい思いがする。

経済成長が続けば、2025年ごろには現在の全世界の石油生産量7900万バレル(日量)を、1か国ですべて消費してしまうとも言われている中国のエネルギー資源漁りが凄まじいことはすでに知られている。胡錦濤主席ら国家幹部がアフリカ、中東、中央アジアを歴訪してエネルギー資源輸入のチャネル確保に躍起だ。まさに国家を挙げて資源獲得競争に狂奔しているといえる。

もちろん、日本も黙っているわけではない。6月に出された「2005年度エネルギー白書(エネルギーに関する年次報告書)」は、積極的な資源外交、原子力発電の進捗などによるエネルギー戦略の見直しを訴え、省エネ技術による国際協力の必要性も書いている。小泉首相も8月下旬には資源確保を横目に入れて中央アジアを訪問する予定だし、イラク復興支援でもイラクが持つ豊富な石油資源が視野にないわけではない。それでも中国などに比べると、日本のエネルギー資源への危機感は物足りない。80年代後半からの世界の石油需給関係の緩和で弛緩してしまった感覚が、そのまま残っているのではないかとさえ考えてしまう。

目を転じてODAに目をやると、ここでも同じことが言える。80年代前半までの「ODA白書(我が国の政府開発援助)」には、ODAが資源を輸入に頼る日本が安定的に資源を確保するための重要な手段であると説いていたが、最近のODA白書には途上国のエネルギー問題の改善支援策はあっても、日本の資源確保といった記述は見当たらない。

2003年に改定された新ODA大綱には「ODAを通じて途上国の安定と発展に貢献することが資源・エネルギーを海外に依存する日本国民の利益増進に繋がる」といったことが書いてある。だが、かつてのようにODAを日本の資源外交の重要手段とした迫力には程遠く、それが実際のODAの現場の雰囲気に繋がっている。

資源がない国は資源を資源保有国からの輸入に頼るしか生きる方法はない。そのお返しに経済協力を実施して、さらに世界に冠たる日本の省エネ技術を伝えることで、限りある地球の資源を人類が末永く共有するという道も拓ける。ODAという持てるツールを目一杯活用して真顔になって資源確保に努力しないと、近い将来、国民の日常生活を脅かすとんでもない事態が発生することになる。それを多くの人が一日も早く気づき、エネルギー分野のODAの拡大を考えてもらいたいものだ。