国内事業とODAの入札は似て非なるもの

vol.155 18 December 2006
JICA客員国際協力専門員 杉下恒夫

福島、和歌山、宮崎で現職知事が連続して逮捕されるなど、06年は後半になって自治体の公共事業の入札を巡る談合関連の事件が続発した。各県の事情や業界に疎い部外者から見れば、常識あるはずの知事たちが、いつか必ず露呈する不正になぜ簡単に手を染めるのか、どうにもその心の動きが理解できない。しかし、日本にはまだそうしたことを求め、許す風土があるのだとしたら、問題の根は深そうだ。

官製不正談合事件の続発で、国民の公共事業の入札への疑惑は高まるばかりだ。公共事業の入札には、発注者が最初から業者を指定する随意契約、業者の特性や技術力を審査して発注者が認める複数の業者のみが参加できる指名競争入札、一定の資格を持つ業者なら自由に参加できる一般競争入札の3種がある。

随意契約はもとより、指名競争入札においても業者の指名に絡んで談合や汚職が起こりやすい。このため、近年は一般競争入札に移行する公共団体が増えているが、この一般競争入札にも数多くの難題があるようだ。その中で最近、最大の問題となっているのが、低価格入札だという。

国の公共事業予算は年々減少、05年度の公共事業予算は98年度に比べると約半分に減っている。だが、従来から公共事業への依存度が高かった日本の建設業は、予算が減った今もその体質から脱皮できていない。そうなると、数が減った入札の機会に、通常のコスト計算では間尺が合わない価格でもなんとか落札しようとする業者が現れる。

納税者の立場からすると、安く公共事業が実施されることは有難いことだが、喜んでばかりいられない面もある。その代表的なものが、請け負った大手業者がコストの削減分を下請業者にしわ寄せすることだ。これは下請で働く労働者の賃金抑制、労働環境の悪化、さらに工事の品質低下に繋がる。また、価格だけの競争は質が見え難くなるため、コストは高めでも質の良い品を作る業者が埋没してしまう危険性も高い。

低価格入札は今年になって急増しており、国交省はあまり安く落札した企業の契約内容を再チェックするなど対策を検討しているという。一般競争入札はもっと導入してほしい入札制度だけに、逆戻りすることなく前向きの施策が採られることを期待したい。

ところで、入札といえばODAにもしばしば国内の公共事業と似たような問題がマスコミ等で取り上げられる。もちろん、ODAにおいても談合などが許されるはずはなく、公正な入札が前提であることは当然だ。しかし、ODAの入札と国内の公共事業の入札を全く同列に論じるのは、多少、無理があることを国民に分かってもらう必要もある。

例えば落札率が高いとしばしば批判される無償資金協力の場合、入札業者は原則、日本企業に限定されるが、当該国で長らくビジネスをして事情に通じた企業でないと、なかなか現地事情に合致した企画を立案できない。そればかりか、工期が単年度に限定され、一日たりとも遅らせずに工事を完遂することは容易でない。さらに治安のリスクまで耐えられる業者となると自然、応札数が限定される。こうした限られた条件下での入札だけに、国内の入札に比べ落札率が高くなるのは仕方がない。

無償の落札率が上がるもう一つの理由に最初の入札で、予定入札価格を下回る応札がなく、やむなく応札の中では一番安い業者と随意契約をするケースだ。この場合は交渉で予定価格まで引き下げ、業者が応じれば落札するが、落札率は100%近くになる。このため、無償全体の落札率が上がってしまう。JICAなどの最近の予定価格の設定は審査が厳しく、無駄を極力削り落とした基準で行われている。かりに100%の落札率でもけっして不当に高い価格ではないともいわれるほどで、こうした事実をもっと、国民にも知らせるべきだ。

外務省やJICAはODAの入札を公正、自由化するため、入札公示期間の延長、契約の細分化(ロット分け)、中小・地方企業の参加促進のための説明会開催などの対策を講じているが、新規参加希望者が未知の世界に足を踏み出すにはまだ、相当の努力が必要なようだ。

一連の知事の不祥事で疑惑の中にある入札だが、契約通りに工事を遂行するために複雑な相手国の政治、経済、社会情勢を読み込むという国内の入札とは違う難しさ、国の信用を賭けた精度の高い事業の実施が求められることなどODA事業の性格を考慮して、ODAの入札を国内公共事業と同列視して論じることは避けたい。