アジアの奇跡はエアコンから

vol.173 27 August 2007
JICA国際協力専門員 杉下恒夫

今年の関東地方は梅雨明けが遅かったので、例年より過ごしやすい夏になるだろうとひそかに期待していたのだが、梅雨が明けると各地で観測史上の最高気温を記録するなど凄まじい暑さだ。テレビの週間天気予報を見ていると、真っ赤な晴れマークが横一列に並び、それだけで目がクラクラする。

あまり暑いと思考能力も低下するようで、仕事をしていても思い出せないことが多くて苦労する。以前なら暑さのせいだけにしていられたのだが、最近は「認知症の始まりか?」などという余分な心配も起きるので、暑さがいっそう身に堪えてくる。

暑さと人間の能力ということで思い浮かぶのは、70年代に初めて訪ねたバンコクで車から見た現地の人たちの姿だ。その頃の日本は経済成長が続き、東京などのオフィス街は、せかせかと歩き回るサラリーマンたちに占拠されていた。そうした日本人の姿と対比すると、車窓から見るタイの人たちの歩く速度はあまりにも遅い。「あの緩慢な動きでは将来も到底、経済的発展は望めない」という案内の日本の商社駐在員の言葉に大きく肯いたものだ。

しかし、その後、取材のために町に出て、東京のスピードで歩くと、たちまち全身から汗が噴き出し、髪もシャツもびっしょりと濡れくる。汗を抑えるためには歩く速度を緩めるしかなく、気がつくと私も隣を歩くタイ人と同じ速度で歩いていた。彼らのゆっくりとした動きは、暑い地方に住む人の生活の知恵から生まれたものであり、生来、動きが鈍いわけではないことを実感したものだ。

80年代、ASEANの多くの国は「アジアの奇跡」といわれる経済成長を果たした。それを成し遂げた要因は、国民が持つ高い能力であり、また、人づくり、インフラ整備などに貢献した日本のODAの側面的支援だ。だが、ゲリラ的磁界から見ると、ASEAN諸国にエアコンが普及したことが奇跡を生んだのではないかと思うことがある。

前述のように猛暑の中では、よほど意思の強い人でもない限り、働く意欲は薄れ、仕事の能率も落ちてくる。ヨーロッパ人は暑い季節、長いバカンスを取って仕事から離れるし、日本でもお盆休みなどで仕事量は減らされる。だが、熱帯地方に住む人は、暑いからといって休んでいたのでは一年中休暇だ。体質的に暑さに強いとはいえ、先進国の人たちが休む過酷な気候の中で働くことを余儀なくされた人たちの生産効率が低いからといって、本来の能力を云々されるのは片腹痛いことだろう。

暑い国に住む人たちも、先進国の人たちとまったく同じ能力を持っていることを証明した装置が、エアコンだ。過去10年以上、ASEANの人たちは、快適な職場環境、通勤や帰宅後も疲れを癒す生活環境さえ整っていれば、先進国の人間と同じスピードで、同じ質量の仕事をこなせることを示してくれた。この流れは間もなくアフリカなどにも及んでくるだろう。「猛暑からの解放は、貧困からの解放」とも言える。

近頃は東南アジアに出張すると風邪を引くという人が増えている。たしかにかの地ではホテルなどでの冷やしすぎの傾向は強い。文明の利器は使いすぎると、今度は環境破壊という恐ろしいお返しがやってくる。熱帯、亜熱帯地方の人たちのこれからの課題は、豊かな生活をもたらしてくれるエアコンと、どううまく付き合うか、その道を探ることだろう。

さて、私もこのコラムを書き終えたので、自室のエアコンをオフにする。あとはボーっとした頭で夕暮れを待つのみだ。