食糧問題も待ったなし

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.190 17 June 2008
JICA国際協力専門員 杉下恒夫

あまり自慢になる話でもないが、私は記者時代,賞というものにはおよそ縁のないインパクトのない記事ばかりを書いていた。そんな30数年間の記者生活で唯一、頂いたのが「食糧安保」という年間企画を対象にして受賞した1999年の「農業ジャーナリスト協会賞」だ。

なぜ今更、そんな古い話を持ち出したかというと、私はずっと前から食糧問題に関心があったということを信じて頂きたいためである。今回は歴史ある「農業ジャーナリスト協会賞」受賞者として、農業の門外漢ながら昨今の食糧問題を少し論じたい。

つい最近までシリアスな食糧問題といえば、国内では自給率、食の安全問題に尽き、国際的にはサブサハラ地域を中心とした食糧不足、食糧増産に係る環境破壊問題あたりで論議は終わっていた。しかし、最近の食糧問題は全世界の生活者の今日の暮らしに関わる緊急課題となっている。

4月以降、食糧価格の高騰、品不足などを背景に東南、南西アジア、北、西アフリカ、カリブ海などの国々で、食料を求める民衆の暴動騒ぎが連続して発生した。こうした事態の解決のため、国連食糧農業機関(fao)は6月に「食糧サミット」を開催、7月の「北海道洞爺湖サミット」でも、食糧問題が主要議題に浮上している。

最近の食糧不足の原因とされるのは、穀物生産地の天候不順による生産量の減少、中国やインドなどの経済成長による食生活の西欧化、サトウキビやトウモロコシからつくるバイオ燃料の需要拡大、一部生産国による輸出規制、投機的な買占めなどが挙げられている。6月の「食糧サミット」では、バイオ燃料と輸出規制が主因として槍玉に挙げられたが、バイオ燃料の生産、食糧輸出の国際基準づくりには至らず、問題解決は洞爺湖サミットに先送りされた形だ。

世界の食糧は1960年代以降、「緑の革命」と呼ばれる農業技術の改革による食糧増産の成功で、人類は間もなく飢餓から解放されるという明るい見通しの時代もあった。しかし、農業技術の改革の恩恵は、灌漑施設が未整備で化学肥料や高価な新品種を投入することが出来ない後発の開発途上国にまでおよぶことはなく、21世紀に至っても飢餓撲滅は、人類の大きな宿題として残されてきた。

それでも90年代初頭までは、まだ「地球には100億人までの人口を養う能力があり、緑の革命が後発の途上国にまで及べば、いつかは飢餓から解放される」という楽観的な見方もあった。だが、その後、地球環境の悪化などによる水不足という新たな障害が浮かんできたことで、現在、食糧問題は先行きの見通しが立たない深刻な状況にある。そこに、最近のいくつかは人為的ともいえる食糧事情の変化が、一気に世界の食糧供給システムを危機に追い込んだ。

「洞爺湖サミット」で、はたして前向きの合意は形成されるのか。「食糧サミット」でバイオ燃料生産国、食糧輸出国と、それ以外の国との対立に妥協の足がかりも掴めなかった様子を見ると、北海道でもそう大きな進展はないとする声もある。食糧問題だけでなく、地球環境問題などグローバル・イシューとされるものは、国のエゴとエゴがぶつかって結局、何の解決策も見出せないまま放置されるものが多い。

しかし、地球規模問題で問題解決を先送りしてよいものは一つもない。北海道に集まる世界の主要国の首脳たちは、環境問題とともに食糧問題が人類全ての緊急問題であるという認識のもとに、何が何でも食糧供給に対する国際枠組みに合意の道筋を立てるべきだ。

私の印象だが、一概に首脳たちの食糧問題に対する対応は甘いような気がしてならない。「食べる」ということは、人類生存の根幹問題だ。人間が生きるのに必要なこととして「衣食住」が上げられるが、その中でも食は最優先される。「衣食足りて礼節を知る」と言う言葉は誰もが知っているが、国際社会が礼節を失うと、その先にあるのは、悲惨な食の奪い合い、すなわち紛争であることを認識して、北海道で実りある協議が行われることを期待したい。