理想の父親は誰か?

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.191 19 June 2008
JICA国際協力専門員 杉下恒夫

6月15日は「父の日」だったそうだ。「そうだ」と多少冷めて書いたのは、私も2児の父親であるが、いまだに2人の子どもたちから「父の日」を祝ってもらった記憶がないからだ。もっとも、子どもたちの名誉のために付記しておくと、ずっと昔に何度か「父の日にどんなプレゼントが欲しい」と聞かれたことはある。だが、照れくさいから「そんなものはいらない」と、愛想なく断ったことが今も尾を引いているらしい。

さて、「父の日」が近づくと新聞、雑誌などでよく「理想の父親は誰か?」などというアンケート調査の結果が発表される。近年、上位に並ぶのは野球の星野仙一・日本代表監督とか、タレントの所ジョージさん、関根勤さん、サザン・オールスターズの桑田佳祐さんなどスポーツ、芸能界のスターたちだ。確かに日常的にお茶の間のテレビの前に姿を見せる彼らは、優しさや適度な厳しさを感じさせ、年長の私から見ても好感の持てる人たちだ。上位に名を連ねる理由は良く分かる。

だが、私には10年以上前から「理想の父親」といわれて最初に頭に浮かぶのは、カンボジアでご子息を亡くされてから国連ボランティア計画(UNV)の名誉大使として、世界中でボランティア活動の推進に力を注いでこられた中田武仁氏(70)だ。

中田氏の長男、厚仁さんがUNVの一員としてカンボジアで活動中に銃撃されて亡くなったのは、1993年4月8日のことだった。第一線の商社マンだった武仁氏は息子の遺志を継いで、国際平和のためのボランティア活動に身を投じたことはよく知られる。UNVの名誉大使となってからは、世界50ヶ国以上に足を運び、3500回を超す講演活動でUNVの紹介や、ボランティア活動の重要性を説いて回り、平和の大切さを訴え続けてきた。

中田氏の苦労が最大に結実したのは、中田氏らが提唱した2001年の「ボランティア国際年」だっただろう。中田氏の提唱は日本政府から世界に発信され、1997年の国連総会で123か国もの共同提案国からの提案として承認されたものだった。その後も中田氏は名誉大使としての仕事を続けてきたが、今年4月、厚仁さん命日4月8日を機に、15年におよぶUNVの名誉大使の仕事を勇退した。今後は終身名誉大使として活動を続けるという。

日ごろから「厚仁が生きていれば立派な世界市民として活躍したであろう」と語っていた中田氏は、勇退時に行った講演で「自分の命をささげても、人の命を守ろうとした、ひとりの世界市民がいたことを覚えておいてほしい」と語ったという。また、「これまでの私の活動を厚仁も認めてくれるでしょう」とほっとした表情を浮かべたという新聞記事もあった。

あの凶弾さえ飛んでこなければ、厚仁さんも今頃、父親として子どもたちから「父の日」を祝ってもらっていたはずだ。それを思うと、改めて怒りがこみ上げてくる。

15日、厚仁さんは高みの空から武仁さんに「僕の代わりに15年もよく頑張ってくれたね。おとうさんご苦労様でした」と声をかけたに違いない。今年も「父の日」には、世界中の多くのおとうさんが子どもたちから素晴らしい贈り物や言葉を貰ったことだろう。(私は貰ってないが・・・)だが、黄泉の国の厚仁さんから武仁さんに伝えられたはずの、ねぎらいの言葉が世界一の贈り物だったと私は信じている。