北京オリンピックとグルジア紛争

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.194 28 Aug 2008
JICA国際協力専門員 杉下恒夫

8月24日、北京オリンピックが閉幕した。国威発揚を前面に出し、規制ばかりが目立つ無機質な大会運営に、あと味の悪さが残る。日本選手団の成績も一部を除き、やや期待はずれだったから、個人的に総括すれば、「忘れがたい」というほどのオリンピックではなかった。

五輪期間中、私には北京よりも気に懸かる地域があった。それは、北京から6000キロ以上も離れたカフカス地方の動向だ。開会式を控えて世界の目が北京に集中していた8日未明(現地時間、8月7日夜から8日)、グルジアの南オセチア自治州で、グルジア軍とロシア軍が衝突した。政治的インパクトで言えば、政治ショーの北京五輪開会式よりも、正規軍同士の衝突の方が国際社会を揺るがす驚愕のニュースだ。

衝突後、すぐにフランスや、全欧安保協力機構(OSCE)議長国・フィンランドなどから停戦案が出され、11日にはサアカシビリ・グルジア大統領が、16日にはメドベージェフ露大統領も合意文書に署名、形式的には早々に戦闘は終わった。しかし、署名後もグルジア領内からなかなか撤退しないロシアに対抗、アメリカは第6艦隊の最新鋭戦闘艦隊を黒海に派遣、ドイツ、スペイン、ポーランドもフリゲート艦を黒海に送り、ロシア黒海艦隊を牽制している。

20日にはライス米・国務長官とシコルスキー・ポーランド外相がミサイル防衛(MD)配備の合意文書に調印、ポーランドのレジコボ村に予定されているミサイル発射基地の建設が具体化してきた。基地が完成すれば、米兵の駐留も予定されており、「対露ミサイルシフト」と抗議するロシアとの緊張はいっそう、高まった。

こうした米露が軍事的にせめぎ合う情勢に“新冷戦時代への突入”などと大騒ぎするマスコミもある。だが、これは表現な適切でないだろう。ライス長官が日頃から言っているように、ロシアはもはや社会主義の国家・ソ連ではないからだ。かつてのソ連はイデオロギーと軍事力によって世界の半分を支配していた。だが、現在のロシアは天然資源によって経済状況が良いとはいえ、世界の半分を支配する力はない。ロシアのグルジアへの対応は、独立国家共同体(CIS)という旧ソ連構成国家内での発言力を維持、国際社会の一極のリーダーの座を守ろうという意図のほうが強い。しかし、グルジアはCIS脱退を表明、ウクライナなどでもロシア脅威論が高まっている。

NATO軍とロシア軍の武力衝突といった最悪のシナリオは遠のいているが、カスピ海産石油の輸送ルートを巡る欧米とロシアの軋轢、アメリカとポーランドのMD調印、棚上げになったままの南オセチアとアブハジア両自治州の地位問題など欧州・カフカス地方の緊張要因は、まだ数多く残る。

しかし、そうした問題を超えて私が羨ましく思うのは、この地域の安保メカニズムだ。今回の衝突においてもCSCE,北大西洋条約機構(NATO)、欧州連合(EU)などが仲介や牽制に、複合的、重層的に機能した。停戦合意に奔走したフランスやフィンランドなど先進国の外交手腕も地域の財産と言えるし、嫌々ながら話し合いに応じたロシアも“普通の国”に近づいている。

日本は2004年までグルジアに対し米、独に継ぐ3番目の2国間実施国であり、今も50人近い研修員を受け入れているが、ワシントンで開かれていたG7財務相会議が緊急発表したグルジアへの経済支援表明に加わったに止まった。駐日グルジア大使は日本に復興支援などを求めており、今後、何が出来るかだけでも検討する必要はあるだろう。

さて、アジアに目をやる。同じような事態が発生したとき、われわれはアメリカを抜きにして、域内で問題を解決する能力がないことを痛感する。アジアには欧州のような域内の安保・政治協力機構は存在しない。日本以外、欧州レベルの民主的国家もない。つねに全体国家の不気味さを感じる北京五輪を横目に見ながら、グルジア情勢を追った17日間は、しばしばアジア安保の脆弱性を感じる時間でもあった。

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません