日本は鎖国国家か

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.198 10 Nov 2008
JICA国際協力専門員 杉下恒夫

私は世俗的に人間であるから、季節の慣わしには素直に従って生きることを生活信条としている。秋は食欲の季節とされるから、今秋も美味いものを求めて町をさまよった。値の張る松茸とはいかないが、新蕎麦や秋刀魚といった庶民にも手が届く秋の味覚は、十分に堪能した。

秋にもう一つ欠かせないのは読書だ。こちらの方も例年通り数冊の本をまとめ買いした。遅読のほうで、もう立冬も近いというのに、まだ、自宅の書棚に置かれたままの本もある。だが、買った本はたとえつまらなくても、必ず最後まで読むことを心がけているので、年末までには全部の本の最後のページをめくるだろう。

秋の日々、面白そうな本を探して久しぶりに都内の多くの大型書店を歩き回った。店頭の目立つ場所に並べられている売れ筋の本は、サブプライム・ショック以後の経済・金融情勢を扱ったもの、投資や節税対策などマネーもの、年金運用、健康法など老後の生活設計もの、心の縁を求める生き方指南もの、資格取得のためのハウツーもの、日本の歴史もの—といったところのようだ。

2匹、3匹目のドジョウを狙ったようなタイトルの本も目に付く。その最たるものは「品格」と名づけられた本だ。「…の品格」の元祖は、藤原正彦氏の「国家の品格」(2005年)とする人が多いと思うが、私の知る限りでは1990年9月に初版が出版された大河原良雄・元駐米大使の「日本の品格」(光文社)が最初ではないか。なぜ、それを覚えているかというと当時「品格」という本のタイトルが極めて新鮮だったからだ。

書店めぐりをしていて気になったことは、こうした類似タイトルの話ではない。納得できなかったのは、中国、朝鮮半島以外の国際政治関係の本が、フロアーの隅に押しやられている書店が増えたことだ。日本中が国際化を合唱していた90年代はじめ、国際関係の本はどこの書店でも目立つ場所を占拠していたと記憶する。書店の経営はボランティアではないから、売れそうな本を店の一番良い場所に置くのは当たり前だ。前述の類の本は売れるから目立つ場所に置かれているわけで、裏返せば国際関係の本は、あまり売れない本ということになる。

最近の日本の世情を見ていて、国際関係の本が売れないことに驚きはない。海外の事象にあまり興味を示さない日本人が増えている。ひと昔前なら海外に集中していた大学生の夏休みや卒業前の旅行も、今は温泉などが人気で海外に拘る学生は少ないという。子どもの頃、家族で何度も海外旅行を経験したとか、親の仕事で海外に住んでいたなどの理由で、われわれの時代のように海外に対する強い憧れがないことが原因のひとつとされる。

だが、それよりも21世紀の日本人がすっかり内向きの国民になってしまったことが、国際社会への関心を失わせている最大の理由だ。バブル経済崩壊後の拭いきれない不況感、雇用、年金、医療,教育など不確かな社会への不安のほか、9.11以後の不安定な国際情勢など、長期にわたって身辺を覆ってきた閉塞感が、日本人の目を国際社会から逸らせてしまったようだ。

国際社会が協調するテロリストとの戦いを対岸の火事のように受け止め、日本の代表的な国際貢献策であるODAにも関心を持たない日本人も多い。自分のごく身近なことにしか見ない人が増えた現在の日本は、ある種の鎖国国家ともいえる。巷では“パラダイス鎖国”などという言葉も飛び交っているらしい。

明治維新後、海外に大きく目を開き、貪欲に諸外国の知識・制度を吸収した日本に対し、同時期の中国・清朝、韓国・李朝は内向きの思考回路を変えることが出来なかった。それが19世紀から20世紀初頭にかけて欧米列強との関係で、優劣を分けた3つ国の姿に大きな影響を及ぼしたことは誰もが知っている。

東アジア近代史をみるまでもなく、日本人が今のように国際社会の動きから目を逸らし鎖国的態度をとり続けると、先進的な世界の流れから取り残され、清朝、李朝のように国の衰退に繋がる危険性は高い。社会が縮小傾向にあり、国家としての生き様に抜本的見直しが求められる今こそ、日本人はもっと世界に目を向け、途上国を含めた海外のあらゆる知恵を国内改革の糧として学ぶという新しい国際化が求められる。

「日本人よ、もっと目を開いて世界を見ろ」と叫びたくなる日が多いのは、年のせいばかりではないと思っている。