地球の裏側から聞こえる祖父の声

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.208 31 Mar 2009
JICA国際協力専門員 杉下恒夫

不況によって解雇される外国人労働者の問題は、日本人労働者のリストラ、派遣切りなど問題の陰に隠れて、メディアなどに取り上げられる機会はあまり多くない。私などは、異文化空間の中で職を失った人たちのほうが、もっと厳しい生活環境の中に投げ出されているのではないかと心配だが、足元がこれだけ厳しい経済状況下に置かれると、「雇用の保護主義」も一概に批判できない事象なのかもしれない。

そんな中、3月1日発行の「日系人ニュース」(海外日系人協会発行)に掲載されていたサンパウロ新聞の鈴木雅夫編集局長の記事は、外国人労働者の問題を別の視点から見るものとして、興味深いものだった。

「在日就労者は甘えすぎ、厳しく己を問え」という見出しが付いたこの記事は、日本にデカセギに来ている日系ブラジル人は甘えすぎと厳しい批判をしている。鈴木氏は、解雇されても、ブラジルに帰国した人は日本で貯金するなどきちんと働いていた人たちで、日本に留まっているほとんどの人は、デカセギの目的を忘れて遊んで暮していたため、帰国費用が捻出出来ない人たちだという。

日系労働者たちが昨年末、解雇に抗議して東京と名古屋で行なったデモの模様を掲載したサンパウロ新聞やニッケイ新聞には、デモ参加者への非難が殺到したらしい。寄せられた声は「働かせてもらったという(日本企業への)感謝の気持がない」、「デモに参加した若い日系人はお祭り気分だ」、「(デモをする人たちに)憤懣やるかたない」などだった。

鈴木氏は、親がブラジル人学校に通えなくなった子どもをデモに連れてきたことについて、「『この子にミルク代を』と手を差し出すブラジルの子連れ物乞いを思い出して悲しくなる。同じことを日系人が日本でするとは思いもしなかった」と、一段と厳しい評を下している。

日本に働きにきた日系ブラジル人に、同胞が冷めた目の据えるのは、一部のデカセギ者の生活態度に対する不満があるようだ。「日本人の批判に心を留めず、休日は家族旅行を楽しみ、一時帰伯時には電気製品を買い占めて見せびらかす。言語、技術、習慣を在日生活時に生かす努力を怠り、何のための出稼ぎかも忘れ、貯蓄の心がけもなく過ごしてきた人たちが、今回の状態に追いやられるのは、当然」(記事より筆者要約)といった現地日系人の声も引用されている。

日本人の対応について、鈴木氏は「日本人は(在日就労者に)同情的で、マスコミも好意的に報道している。権利ばかり主張して浪費する日系人の実態を知ったとき、同情が反発に変わるのではないか」(筆者同)と、危惧している。確かにわれわれは、外国人労働者の実態もよく把握せず、職を失くしたことに、ただ感情的に対応している一面も否定できない。

個人の能力と金を過信する新自由主義が瓦解、未曾有の不況下にある現在の日本社会を覆っているのは、競争を憎み、共生、調和を優先する内向きの雰囲気だ。ギスギスした新自由主義社会の復活を望む人はあまりいない。だが、早くも世界経済回復後の陣取り合戦に入っている欧米主要国の様子を見ていると、ただ、やさしさだけで次のステージに入る国際社会で、生き残れないことも自明だ。やさしさとともに、強さも持ち合わせた国家に変貌することが重要なのだ。

ブラジルの日系人社会には、現代日本人が失った明治人の強い心が今も生きていると言われる。鈴木氏の記事は日系ブラジル人労働者に対し、厳しすぎるのではないかという印象も残るが、この厳しさは、ただ、傷をなめあっている昨今の日本社会の状況から見ると、逆に清々しく見える。ブラジルで幾多の苦難を乗り超え、己の人生を切り拓いた祖父から日本人に飛んできたゲンコツといっても良いだろう。

記事の中で鈴木氏が一番言いたかったことは「自ら望んでデカセギに出たのだから、すべて自分で責任を負うべきで、自助努力もせず、他力本願で何から何まで人に頼ろうとするのは間違っている」ということのようだ。これを今の日本人用に書き換えれば「再び快適な社会を作りたいのなら、人に頼ることばかり考えず、自助努力せよ」ということになるのかもしれない。