サンデル教授風に開発問題を討論してみては?

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.241 17 September 2010
JICA国際協力専門員 杉下恒夫

先日、私が役員の末席を務めているあるNGOの役員会で、俳優で仏師でもある滝田栄さんとご一緒した。滝田さんは多忙なスケジュールの中で、いつも熱心に会員を増やして下さっている。この日の会議の席上、滝田さんは友人に国際協力活動に参加してもらう難しさを述べられていた。

われわれのNGOは公平性を高めるため、数年前から従来の特定の子どもを支援する里親制度から、コミュニティ全体を支援する形態に切り替えている。だが、滝田さんの話によるとコミュニティ支援に変えてから、友人たちからかつてのように明快な賛同を得にくくなったという。理由は相手の顔が見え難くなったということだ。

開発の正論では特定の個人や家族を支援することは、支援者を持たない人との間に生活格差を生むため、誤った手法とされる。しかし、地域全体への支援となると、自分の浄財がどのような成果を挙げているのか見えにくくなることも事実だ。顔が見えれば「よし、私も里親になろう」という気になるが、相手が分からないのでは二の足を踏む人の気持ちも良く分かる。

この日、滝田さんが話した問題のように、援助の世界ではどちらが正しいのか決められない悩ましい問題が多い。「理」と「情」の狭間で正義が揺れ動く難しいテーマが山ほどあるのだ。

今、ベストセラーとなっている「これからの『正義』の話をしよう」(早川書房)の著者であり、ハーバード大学の政治哲学の授業で学生を熱狂させているマイケル・サンデル教授が8月末に来日、東京大学で特別授業を行った。当日、教授はハーバード大学での授業と同じように参加した学生たちに多様な意見が交錯する難題を投げかけて討論を求めた。後日の読売新聞の記事によると、サンデル教授の問いは「日本とパキスタンで同時に大災害が起きたら、どちらの救援を優先するか。自国を優先するのは差別ではないか」、「イチローの年俸は日本の教師の400倍、オバマ大統領の42倍、公平だろうか」といったものだったらしい。

こうした問いにいろいろな観点から参加者の活発な意見が出たという。私もサンデル教授のベストセラーを購入して読んでみた。未消化ながら本書は、諸問題について多角的視点から公の議論を行い、そこから善に結びつく正義、正しい行いを見つけ出すことが重要だと説いていると理解した。

前述のように援助の世界には何が正義なのか、二律背反して定義しにくい問題が特に多い。日本の文化風土の中では珍しいといえるが、サンデル教授の影響なのか最近、巷で正義について語られる機会が増えているという。ODAの正義とは何か。“正義論ブーム”に乗ってわれわれも日本のODAにおける正しい行いを論議してみてはどうだろう。戯れにサンデル教授を真似て問いを作ってみた。もっと良い設問があるだろうが、とりあえず以下のようなものを列記する。

「国家財政の再建優先か、内政ばかりにかまけていないで苦しくともODA予算の削減に歯止めをかけて国際責務を遂行すべきか」

「ODAは国益を優先する外交ツールか、政治的効果よりも人道的配慮に重点を置くべきか」

「JICAやODAマークを付けるなど日本の援助を強調すべきか、出来るだけ日本の姿は見せない方が良いのか」

「橋や学校建設などの事業にコストを最優先すべきか。それともコストはあまり拘らずに、日本の技術を示す質の高い、安全で長持ちするものを建設すべきか」

「紛争後の地域などの支援は派遣者の安全を考え、治安が完全に回復してから開始すべきか、効果と緊急的ニーズを考慮して多少の危険を冒してでも早めに援助を開始すべきか」

「ODAは日本の経済活動と連動するものにすべきか、援助と日本経済は切り離すべきか。ひも付き援助の是非」

「積極的に援助協調を進めるべきか、日本の個性を維持するため援助協調は適度に抑えるべきか」

「NGOは公的資金をどの程度まで受け入れるべきか」

このほかにも環境と開発、資源と開発などテーマはいくつもあるだろう。もちろん、滝田さんが問うた援助の公平性と、多少の不公平感は残っても多くの人に支援してもらい、より大きな支援活動を展開することが望ましいか、といった問いもある。

サンデル教授がこうした論議に加わって下さるなら、素晴らしい答えが出ると思うのだが、それは所詮無理だ。しかし、援助関係者同士、移動の車の中などで関心のあるテーマを決めて改めて話し合ってみるのは如何だろうか。有用な時間になると思う。