月明かりの下でサマセット・モームは何を考えていたのか

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.242 29 September 2010
JICA国際協力専門員 杉下恒夫

諜報とは「敵情を密かに探って知らせること」(小学館・大辞典)であり、公式には肯定されるものではない。だが、外交においてはある意味で必要悪だという見方もある。

諜報活動の担い手は、いわゆるスパイと呼ばれる人たちだが、情報の電子化が進む近年は、人の顔は見えにくい。冷戦時代、闇に生きたスパイには危険で暗く冷酷なイメージが付きまとったが、世界でも有数の諜報機関であるイギリスの対外情報部(MI6)には、かっこいいというイメージを持つ人が多かった。MI6は「007」で知られるイアン・フレミングのジェームズ・ボンド・シリーズなど、英国の小説家が好んで題材として使うことが多く、現実離れしたヒーローが本来のスパイの姿を隠してしまったからだろう。

9月末、そんなMI6の正史がイギリスで発刊された。存在すら明らかにしない組織の半世紀にわたる活動を詳述する正史の発刊は驚きだ。諜報活動の在り方が時代とともに変わった証明でもあるのだろう。しかし、この正史がもっと世界を驚かせたのは、かの有名な英国の作家であるサマセット・モームや、グレアム・グリーンが一時期、MI6に所属していたことが明らかにされたことだった。

若い頃、遠い異国に夢を馳せながら2人の小説をずいぶん読んだが、特に「月と6ペンス」などで知られるモームには親近感を感じていた。その理由はミクロネシアとポリネシアを担当していた新聞記者時代、南太平洋の島々の取材で、何度かモームも泊まったというホテルに宿泊したからだ。ほとんどのホテルは簡素なコロニアル様式の建物で、なぜか「グランド・ホテル」という名前が多かった。

なかでも忘れられないのはオーストラリアとパプアニューギニアの間にあるトレス海峡の中心地、木曜島を取材した時だ。予約してあったホテルはオーストラリアからの高校生グループがいてうるさそうなので、急きょホテルを変更、地元の人に紹介された港近くの丘に建つ「グランド・ホテル」に移った。建物は今にも崩れそうだったが、ムードのあるホテルで、経営者のオーストラリア人の老夫婦に案内された部屋は、モームがここで「フレンチ・ジョー」を書いたという2階の角部屋だった。

雑貨店が2,3軒あるだけの小島だから、夕食後はなにもやることがない。無聊に部屋に続くテラスに出てみると、木製のデッキはところどころ腐って抜け落ちている。足元に注意しながら遠くに目をやると、まばゆいばかりの月光を映して金色に染まった海が、緩やかに揺れている。気分はもうすっかりモームとなり、時間がたつのを忘れて海と夜空を眺めていた。

翌日、明治から戦前にかけてこの地で活躍した日本人真珠とりの取材を終えてホテルに戻ってみると、南緯10度の炎暑というのに、きちっとネクタイを締めた十数人の男が部屋に籠って会議をしているのが目に入った。経営者に「何の会議ですか」と尋ねると、「なんだがわからないけど、もう2週間も同じことをしている」と気味悪そうにいう。記者としては実態を明らかにしなければならない。会議を終えて部屋から出てきたメラネシア系の真っ黒な大男に会議の議題を聞いた。

恐る恐る近寄ったのだが、大男は意外に親切で「われわれはここでオーストラリアからの独立を協議している」と話してくれた。記者の私としては絶好のネタであり、さっそく翌日から彼らの取材を開始して記事にしたが、MI6のエージェントだったモームならこの時どう動いただろうかと今、思う。英連邦の主要国であるオーストラリアからの分離独立運動は、イギリスにとってもゆゆしき問題のはずだ。モームは執筆を止めて首謀者たちから情報を集める諜報活動に入ったかもしれない。

作家とかジャーナリストは職業上、歩き回って情報を集めても周りから詮索されることが少ない。だから、スパイの隠れ蓑になりやすい職業だろう。しかし、最前線にたつ援助関係者も案外、途上国の重要な政治情報を得やすい立場にある。風説かもしれないが、アメリカの平和部隊には何人もの中央情報局(CIA)のエージェントが紛れ込んでいたとされる。反政府組織に浸透されやすい途上国の貧しい農村などで、住民に溶け込んで活動していれば、なにもしなくても破壊的な情報が入ってくるから巧妙といえば巧妙な手段だ。(そういえば平和部隊の創設者であるケネディ大統領は、007シリーズの熱烈な愛読者だった)

日本の援助活動には政治情報収集といったタスクは明記されていないが、より効率的な援助を実施するためには活動地域の政治情勢に無関心であってはならない。特にガバナンス、平和構築といった分野においては、草の根的政治情報は重要だ。以前、本欄でも触れたが、JICAは2007年、インドネシアのマルク州アンボン島で、宗教対立の再発を防ぐため、アンボン市と協力してピース・エージェント(PA)を設立した。このPAは紛争の早期警報システムであり、いち早く政治の不安定情報をキャッチできる。

MI6とJICAの仕事の根本的な違いは、得られた政治的な情報を自国または自陣営の利益のためだけに使うか、当該相手国の利益にために使うかだ。JICAはもちろん後者であり、援助活動中に相手国の政治を揺るがすような情報を得たとしても、日本外交のカードとはせず、紛争予防などその国の安定と繁栄に寄与するために活用する。

「月と6ペンス」の主人公は自由な生活を求めてさまよう男だったと記憶する。そのような小説を書くモームも、スパイよりももっと広く自由な生活を望んでいたのかもしれない。MI6の正史発刊を知らせる新聞記事の切り抜きと、22年前に私が撮った古い木曜島の波止場の写真を机上に並べて眺めているうちにそんな思いがした。