ゲバラの夢はJICAの夢

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.244 28 October 2010
JICA国際協力専門員 杉下恒夫

先日、東京・内幸町の日本記者クラブで行われたエルネスト(チェ)・ゲバラの二度目の妻の長女、アレイダ・ゲバラさんの講演を聞きに行った。特に暇を持て余していたわけではないのだが、ゲバラの名前を聞いただけで血が騒ぐ習性が足を運ばせたようだ。

世界中の被搾取者のために戦った永遠の革命家、ゲバラは死後も長く多くの人々から敬愛され、今も世界各地で関連する著書が読まれ、歌が歌われ、しばしば自伝などが映画化されている。2年前には半生を描いた映画「チェ・28歳の革命」が、日本など世界で上映された。これはゲバラ・ファンが年齢、性別、国籍を問わず、世界中に数多くいるという証明だろう。

ゲバラが最も華やかな活動を続けた1950年代末から60年代に青年期を過ごしたわれわれの世代の人間にとってゲバラは、革命家を超え、スーパー・スターのような存在だった。この時期、少し社会問題に関心を持つ若者たちは、生煮えのゲバラの革命思想を熱っぽく語り、「いわばチェの考え方は…」などと、わけ知り顔で話す仲間がグループ内に必ず一人はいたものだ。社会の不条理について、それほど真剣に考えてもいなかった私のようなグータラ人間でも、自宅の本棚には「ゲバラ日記」や「ゲリラ戦争」などのゲバラ関係の本が数冊収まっていた。

1996年7月、私はJICAの移住事業によって南米に移り住んだ日系人の聞き取り調査をするため、中南米の数か国を訪れた。その一つの国、ボリビアではサンファンやオキナワの日本人移住地の取材で、当地に根付いた多くの日系人の率直な話を聞くことができ、成果の多い旅だった。

ある日、JICAボリビア事務所サンタ・クルズ支所(今はない)管内での仕事のためサンタ・クルズ市郊外に向けて車を走らせた。かなりの距離を走って周辺の景色も見飽きた頃、同行の支所の所員が「ゲバラがボリビア軍レンジャー部隊に捕まったのはあのあたりです」と、車窓に広がる平野のかなたに見える小高い山を指さした。

ゲバラがボリビア・アンデス山中で捕まり、銃殺されたことは知っていたが、まさか私の視野の中にいきなりその現場が現れるとは予想していなかったので、軽い衝撃を受けた。「勢力が消耗していたゲバラのゲリラ部隊の動きは、ボリビア政府側に洩れていたようで、ボリビア陸軍は精鋭部隊を派遣して待ち伏せしていたようです」という所員の説明を聞きながら、私の脳裏にはポスターなどで見慣れたゲバラの顔が広がっていた。

ゲバラの人生を支えた思想は、反権力・反米の立場に立った理想的行動主義といえるが、同世代の改革主義者に比べ、特に優れた思想家というわけではない。中南米の革命家の共通の欠点ともいうべき、武力闘争を至上とする手法も歓迎すべきものではない。

しかし、そんなゲバラがなぜ、世界中の人々から熱狂的な支持を受けるのか。その理由の一つに彼の魅力的な容姿がある。古い写真を見てもそこいらの人気俳優や、人気スポーツ選手も及ばぬ知的で甘い風貌だ。それに加えてアルゼンチンの豊かな家庭に育ち、医師の身分も革命後のキューバの大臣のポストも捨てて、ラテン・アメリカやアフリカの貧しい人たちのために戦い続けた生き様が、ひときわ恰好いいからだろう。

ゲバラが死んでから丸43年が過ぎた。だが、ゲバラは過去の人ではない。ゲバラは多くの現代人が求める理想のリーダーとして、再び現実の社会に蘇りつつある。私利私欲で変節するリーダーがあちこちの国で目立つ昨今、世界の人々はゲバラのように強い信念を持ち、国民目線の清廉な指導者の出現を待ち望んでいるのだ。

アレイダさんは父の遺志を継いで小児科医となり、アンゴラやキューバ、エクアドルなどで医療活動を行ってきた。アメリカの経済封鎖で子どものミルクにも事欠くキューバの現状に「キューバはもう危険な国家ではない。アメリカはキューバをせめて普通の隣人として扱ってほしい」とも訴えていた。

ゲバラが夢見た国民の基本的権利が守られ、富の分配が公平に行われる国家の実現は、JICAマンたちが日ごろ行っている業務でもある。武力を用いなくても理想の社会の建設が可能なことを援助関係者が団結して証明して見せれば、高みの空からゲバラはなんと言うだろうか。

アレイダさんの講演終了後、「チェ・ゲバラ伝」などの著作がある作家の三好徹さんが「ゲバラがコンゴ(民主共和国,旧ザイール)からベネズエラに行く途中、変装してキューバに戻り、家族に会ったそうだが、その時の印象は?」と尋ねると、アレイダさんは「私には母のスペイン人の友人として紹介されたが、会見中にうっかり転んで頭を打った私を親切に介抱してくれたので、私を愛している人だとわかった」と、人間ゲバラを忍ぶエピソードを話してくれた。

俗人にゲバラのような人生は望むべくもないが、自分自身の気持ちがリセットされた2時間だった。