ドイツの軍事改革からJICAの新人研修までを考える

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.246 9 December 2010
JICA国際協力専門員 杉下恒夫

若い日本男子の草食系化を嘆く中年男性の間で「やつらに根性がないのは、徴兵制がないからだ。日本にも徴兵制を導入して自衛隊で一度、厳しく鍛えろ」などという勇ましい会話がしばしば交わされる。もっとも、息巻く中年男性だって兵役に従事した経験なんてないのだが…。

日本の徴兵制は明治5年(1872年)11月28日に「全国徴兵に関する詔(しょう)」が出され、翌年1月から国民皆兵制が始まった。今からちょうど138年前の出来事だ。もちろん戦後、徴兵制は廃止され、日本社会で義務的な兵役を経験した人は80歳以上のひと握りの男性にしかすぎない。中高年層がいくら力んでも、3K(きつい・汚い・危険)職場を嫌う現代日本の若者に、プライバシーは制限され、厳しい訓練が続く兵役など受け入れられるはずがない。憲法18条(国民への強制的苦役の禁止)などの制約もあって国民皆兵制の復活はあり得ない話なのだ。

世界を見渡しても徴兵制を維持している国は減っており、世界最大の軍事機構、北大西洋条約機構(NATO)加盟国の中で、今も徴兵制があるのはドイツ、ノルウェー、エストニア、ギリシャ、トルコの5か国だけだ。NATO加盟国以外ではイスラエル、ウクライナ、ベラルーシ、韓国などで今も徴兵制が続けられているが、中国やロシアでは制度はあっても事実上、形骸化している。

第二次世界大戦後、軍事国家の復活がもっとも恐れられていたドイツに徴兵制があるのは、ちょっと意外な感じだが、冷戦の激化で旧ソ連と最前線で対峙する西ドイツの防衛力増強が西側陣営の重要課題だったため、1957年から18歳以上の男子を対象に復活した。それが東西ドイツ統一後も維持されている。だが、ドイツでも今年は徴兵制の存廃問題が大きな論争となった。まだ、紆余曲折があるだろうが、年内に連邦議会で徴兵制廃止も含めた軍制度大改革の結論が出される予定だ。

ドイツで徴兵制廃止が論議になったのは、政府歳出削減のため国防予算を減らす必要に迫られているからだ。現在のドイツ軍の兵力は約24万4300人(陸軍16万人、海軍2万3000人、空軍6万人=共同年鑑2010より)で、イギリス(志願兵のみ16万人=同)などと比較して多過ぎるとされる。そこで、これを15万人から20万人程度にまで縮小しようという計画が具体化、9月に軍事改革関連法案が閣議決定している。

現在、いくつかの改革案が出されているが、兵力を20万人以下に減じた場合、徴兵制を廃止して独軍は志願兵だけになる可能性が高い。ドイツの徴兵期間は今年7月に、それまでの9カ月から6か月に短縮されているが、60年代初頭から兵役を回避する若者のために、兵役に替わり社会福祉施設などでの社会奉仕活動を選択する制度がある。兵役制度復活当時から兵役よりも社会福祉活動を希望する若者が多く、最近では実際に兵役に就く適齢男性の割合は、2割以下だという。つまり、ドイツでも事実上、徴兵制は崩壊寸前なのだ。

徴兵制の廃止は思わぬマイナス効果も予測されている。徴兵を拒否して社会奉仕活動を選び、社会福祉施設で低賃金で働く若者は、今やドイツの福祉政策に欠かせない存在だ。だが、徴兵制が廃止されると、同時に義務的な社会福祉活動も廃止されるので、年間10万人近い若者が社会奉仕活動の現場から消えることになる。こうした功罪諸問題を踏まえてドイツが年末、どのような軍事改革の結論を出すのか、気になるところだ。

さて、冒頭に書いた日本男子の草食系化の解決問題だが、あり得ない徴兵制の復活はともかく、一部の日本人の間に兵役に替わって適齢の日本人青年男女に一定期間、社会福祉活動を義務化させようという主張が根強くある。これについては私も真剣に検討してもよいアイデアではないかと思っている。若者に社会福祉活動を義務付けることで、社会福祉要員の確保という社会構造的なメリットが生まれる以上に、若者が福祉の現場に触れることで、介護などを必要としている人たちへの理解が深まるメリットが大きい。無縁社会となった日本社会に暖かい血を戻すきっかけにもなるだろう。国内的なメリットばかりではない。目を世界に転じて途上国での開発協力などの仕事に関心を深める若者も増えるはずだ。

最後にこれは全くの私案だが、JICAは現在、新入職員に行っている海外OJTだけでなく、新入職員に数か月間、国内の社会福祉施設で働く経験してもらったらどうだろうか。JICAの業務を正しく遂行するうえで欠かせない資質は、開発知識、国際経験、語学力のほかに地球上の困っている人を助けようという優しい心だ。社会福祉施設での研修はそうした心を涵養する絶好の機会になると思う。