注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。
vol.247 20 December 2010
JICA国際協力専門員 杉下恒夫
自分の職業をジャーナリストなどと名乗っているせいか、最近、「民間の内部告発サイト、ウィキリークスについてどう思うか」と尋ねられることが多い。この問いに対し明快に答えるのは正直に言って難しく、あまり聞いてほしくない質問だ。
私の専門ではないので、環太平洋経済連携協定(TTP)への日本の加盟是非についての質問を受けたことはないが、TTP問題についてテレビや新聞紙上などで語っている著名な国際政治、経済学者たちは、貿易促進と国内農業保護の狭間ですっきりとしたコメントが出来ず、苦しんでいる様子だ。ウィキリークスとTTPは、現時点においてコメンテイター泣かせの2大お題目とも言えるだろう。
さて、そのウィキリークスだが、11月末にネット上で公開される前に情報の提供を受けた世界の主要メディアも、ウィキリークスの情報をどう評価するか、相当迷ったようだ。世界のジャーナリズムの指導的立場にあるアメリカのニューヨーク・タイムズ紙は「ウィキリークスから提供された情報は、公共の関心を満たすもの」として補足取材と多少の修正を加えて掲載した。一方、ライバル紙である「ウォール・ストリート・ジャーナル」は、ウィキリークス側が出した掲載日などの条件が折り合わなかったことや、「単なる野次馬的情報に過ぎない」と情報の内容を低評価して掲載を見送った。世界の2大新聞ですら、評価が分かれるほどウィキリークス情報の判断は難しい。
あまり人には知られたくない内部情報を暴露された各国政府の対応は、言うまでもなく厳しいものだった。外交公電を公開された当事国であるアメリカは、さっそく機密文書の閲覧監視システムを見直し、クリントン国務長官は「流出した情報はアメリカの正式見解ではない」と情報の信頼性を否定した。フランス、中国などはサイトの接続を遮断、日本も前原外相が「勝手に情報を盗む犯罪行為」と非難している。米国民の中にはウィキリークスをテロ組織と呼ぶ人までいた。
大量にリークされた情報は世界にある種のショックを与えた。だが、各国政府の厳しい反発や、米外交公電の情報提供者が過去にも機密情報を漏えいした前歴のある若い米兵だったことが判明したほか、12月7日にはイギリス警視庁が暴行容疑でスウェーデンから国際指名手配されていたウィキリークス創設者を逮捕するなど、ウィキリークス側に逆風が吹いている。(12月13日現在)
このように現時点において大勢はウィキリークスに不利なようだが、ウィキリークスの内部情報公開を国民の知る権利に基づく純粋なジャーナリズムの行為として考えると、たとえそれが覗き見的な情報であっても、彼らの行動を完全には否定できないというジレンマが残る。ジャーナリズム論の立場に立つと、米外交の政策決定プロセスの一部を、ナマの状態で人々に知らせることはメディアの正しい行為であり、批判されるものではないという気もするのだ。ジャーナリズムの正論だけで語るならウィキリークスの行為は認められるものということだろう。
しかし、世の中は青臭い正論だけで通用しないことが多々ある。必要のない情報をあえて漏らして国際関係に波風を立てることや、国家の安全保障に支障をきたすことが国民の利益とはならないことも自明だ。情報をすべて公開することが国民の利益に繋がるのか、という疑問もある。開示する情報を制限して少数意見を封じるというのではない。大局に影響を及ぼす情報は大いに公開すべきだが、多くの国民の生活を危機に陥れる無意味な些末情報まで公開する論拠はない。その境界をどう判断するのか、今回のウィキリークス問題では世界のメディアがそこに頭を悩ませているのだ。
ただ一つはっきり言えるのは、ウィキリークスが社会正義という信念で、情報を公開しているのなら認められ、単なるいやがらせや自己顕示欲だけで公開しているのなら恐るべき愚行だということだ。
メディアが存在のする意義は政府・権力の監視にあるが、それはつねに親政府または反政府の立場に立つということではない。政府の政策に国民目線で是々非々の対応するのが正しいジャーナリズムだ。悪政を続ける政府を転覆させる特ダネ記事を書くのもメディアだし、たとえ世紀の大特ダネでも、それが国民の利益にならないと判断した場合は報道しないのもメディアだ。
イギリスの国際開発省(DFID)は、メディアと呼ばれるものとして新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、インターネットからパンフレット、ポスター、Eメール、電話まで多様な形態を挙げている。だが、社会の公共性という点で新聞、テレビなどとパンフレット、ポスターを同列には論じられない。メディアはおのずと情報発信力と信頼度の違いによって区別される。強い発信力と信頼度の高いジャーナリズムには、それに比例して公的責任が増すことも自覚しなければならない。新参のネット情報の評価は、まだ固まっていないが、今回の騒ぎはネット情報の評価論議にも拍車を掛けるだろう。
開発援助を専門にしている身としては、ウィキリークスの情報の中に開発援助関連の情報は混じっているのかどうか、という興味もある。大量の米国外交公電の中に援助関係の情報が1件もないというのは、アメリカの援助にかける意欲のなさを示すようでちょっと寂しいし、つまらぬ情報が外部に洩れてアメリカの開発政策推進に悪影響を及ぼすのも困る。他方、アメリカのODA政策の本音を聞いてみたいという野次馬気分も隠せない。しばらくウィクリークスは、私を悩ますやっかいな存在になりそうだ。