年賀状に込められた中高年世代の憂国の思いを活かそう

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.248 21 January 2011
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

私は若い頃、よほどのことがない限り年賀状は書かなかった。年賀状の季節になると今でも時々、虚礼廃止という言葉を耳にするが、合理化が優先され日本の古き良き伝統が軽視される傾向にあった1960年代の日本社会では、年賀状をターゲットにした虚礼廃止の声が今よりずっと大きかった。私はこの風潮に大いに賛同したわけだ。

数日前まで仕事などで顔を会わせていた人たちに、紋切り型の賀状を出すのは虚礼と言われても仕方がない面がある。しかし、私が年賀状を出さなくなった本当の理由は、年末の忙しい時期に年賀状を書くのが面倒臭かったからだ。虚礼廃止という一種の社会改革運動は、怠け者にとって格好の逃げ場となった。社会改革を隠れ蓑にして、目上の方から頂いた年賀状にも返信しない年を重ねるうちに、正月に我が家に届く年賀状の数はずいぶん少なくなった。

おせち料理が詰まった重箱の横に、数枚の賀状がひっそりと置かれる正月の風景を寂しく思うようになったのは、50の半ばを超えた頃からだろうか。10年ほど前から前の年に年賀状を頂いた方には、こちらからも年賀状を出すようになり、最近では毎年、150通程度の年賀状が行き来するようになってきた。友人の中には300枚とか、400枚とかの年賀状の交換をする人も多いから、この年にしてはまだ、年賀状と疎遠なほうなのだろう。

数が少ない分だけ頂いた賀状は、すみずみまで読む。当然だが同世代の中高年男性からのものが圧倒的に多い。今年の賀状を読み進むうち、同じような文面の賀状が続くことに気が付いた。屠蘇気分で読んでいるので間違って二度読みをしているのかと思い、前の賀状をひっくり返してみたが差出人は別人だ。いくつもの賀状の文面に「政治の迷走」、「経済の停滞」、「閉塞感」、「内向き日本人」などの言葉が次々と現れ、「この日本をなんとかしなければならない」、「日本をなんとかしましょう」という救国の檄文が続く。興奮しすぎたのか同じ文言が重複している賀状もあった。

差出人はそれぞれの世界で活躍されている方々だが、思想的に偏った人たちではない。リベラルに属する方のほうが多いから、旧来の排他的愛国心の発露とは違う。自分たちが積んできた経験を活かしてSTALLED IN THE MUDの状態にある日本を救出しようという純然たる心が書かせる檄文なのだ。

昨年ごろから国際社会で影が薄くなりつつある日本の立て直しに助力しようと、個人を主体にした中高年層の動きが目立つ。昨年12月に明石康・元国連事務次長、大島賢三・JICA副理事長らが発起人にとなって発足した「グローバル人材育成検討の有志懇談会」もその一つの動きだ。この有志懇談会は昨年末に「グローバル人材育成に関する提言—オール・ジャパンで戦略的に対応せよ」を発表している。

提言についてはすでに新聞などでも報じられているが、要旨を繰り返すと、失われた20年の余波から立ち直れない日本は、経済の再生ばかりか、国としてのビジョンも描けないまま混迷を続けている。日本の再構築を図り、国際社会での地位、影響力、存在感、対外発信力を再び高めていくためには、今後の国家財産となる国際的な人材を体系的に育成にすべきだ—といったものだ。

「グローバル人材育成検討の有志懇談会」のメンバーには五百旗頭眞・防衛大学校長、鎌田薫・早稲田大学総長、松浦晃一郎・前ユニセフ事務局長ら日本を代表するオピニオン・リーダーが名を連ねており、私への賀状の発信者同様、この世代の人たちが揃って内向き国家日本の将来を憂いていることを偲ばせる。

話は有志懇談会から飛ぶが、先ごろ、日本伝統のものつくり文化の衰退を憂慮する「ムーンショット・デザイン幸福論」(武田ランダムハウスジャパン刊)を上梓した国際的デザイナー奥山清行さんも、執筆の動機は心を熱くさせるものを見失いつつある母国・日本のデザイナーに危機感を抱いたからだという。奥山さんといえば、イタリアの高級スポーツカー、フェラーリやマセラッティのデザインで有名な人であり、視点はつねに海の向こうにある方かと思っていた。OKUYAMAのほうが通りが良いとされる奥山さんのような国際人までが、故国の停滞に危機感を持ってくれることに感謝すると同時に、この国を蝕む病理が相当、広範囲にわたるものであることも痛感する。

奥山さんは若いが私のような60代から70代の日本人は、日本社会の“良いとこ取り”をした世代とされる。幼時に戦後の貧しさを僅かに経験しているものの、少年から青年期を活気溢れる右肩上がりの社会で育ち、つねに明日を夢見る日々を送ることができた。実際に豊かな日本を作ったのは、貧弱な労働環境の中で満員電車に詰め込まれて働いた自分たちの親世代であり、リタイア後の社会保障を支えてくれているのは、自分たちの子世代だ。東京中心の生活をしてきた私などは、大きな自然災害にも遭っていない。

これをラッキーとだけで片付けてはならない。ほかの同世代の方々も同じ考えなのだろう。今、日本の現状を憂いている中高年層の心の中には、日本社会への恩返しの気持ちがあるのだと思う。われわれの世代はここで日本社会に貢献しなければ、前後の世代に申し訳が立たないのだ。

問題は各人が何をどうやって実行するかである。有志懇談会に名を連ねるような社会的影響力のある方々は、多様な方法があるだろう。しかし、私のような凡人は何をやっていいのか、途方に暮れてしまう。頭をひねくりやっと浮かんだのは、記者時代から40年近く関わってきた途上国の開発に関係する分野で働く若い日本人の育成支援だ。今年は私の人生を支えてくれたODAにいくらかでもお返しをする年にしたいと考えている。