注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。
vol.251 9 Mar 2011
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏
チュニジア、エジプトで長期独裁政権を倒した民衆のデモは、北アフリカから湾岸諸国にまで、あれよ、あれよという間に広がった。今はリビアのカダフィ政権の息の根を止めようとしている(3月3日現在)。チュニジアで食料価格の高騰に抗議するデモが起きたのは昨年12月中旬だ。それからたった2か月余で2つの国の長期独裁政権が崩壊、周辺国の政権も揺さぶった。政治の未来は歴史の中にあるというが、過去の世界政治史を紐解いても、あまり例のない常識を覆す新たな時代の動き方だ。
アラブ諸国のデモがどのようなプロセスを経て発生し、誰がグループを主導したのか、多様な情報網を持つ米英の情報機関でも正確にはつかめていない。一連の民主化要求デモは、底なしの深さを感じさせるものの、核のない朧気な星雲状態の反政府運動ともいえる。今後、このベクトルがどのような方向に広がっていき、どこに集約されるのか、今は予測がつかない。
エジプトなどで民衆デモが拡大した背景には貧富の差の拡大、汚職の蔓延、権力の世襲、人権を無視した強権政治など国民の不満が限界に達していたことがある。だが、それだけではこれほど急速にデモは拡大しなかっただろう。デモを未曾有の領域にまで突き進ませたのは最新の情報機器の存在だ。
交流サイト、フェイス・ブックなどインターネット上に存在するソーシャルメディアが、民主化デモを国内ばかりか国境を越えて急速に拡大させた。強固な国家の情報管理の壁を簡単に突き破るまでに進化したインターネットの力を改めて感じさせる。
私は途上国の民主化にメディアが果たす役割を長年の調査・研究のテーマとしてきた。18世紀末、アメリカの独立にイギリスのタイムズ紙が影響を与えたように、近代型マスメディアが誕生して以来、メディアは民衆の声の代弁者としてしばしば国の民主化を主導してきた。だから、JICAなどを通して実施される途上国の民主化支援においても途上国メディアの支援が欠かせないというのが私の信念だ。
メディアにもいろいろあるが、これまで私が支援の対象として考えてきたのは、新聞とFMラジオだ。途上国においてもテレビのインパクトは強い。だが、電波のライセンスは政府に握られているうえ、受像機の数が少なく、視聴可能地域も限られている。さらに、民間企業が育っていない途上国では独立した民間放送の存在も難しい。
新聞とラジオジャーナリズムを民主化の魁としようという狙いで、何年かにわたりいくつかの途上国で新聞、ラジオの実態調査を行った。その結果については、拙書「危ういジャーナリズム—途上国の民主化とメディア」(日本評論社)に詳しく書いてあるが、結論は途上国の新聞、ラジオには、経営基盤の弱さ、ジャーナリストの質の悪さなど多くの問題があり、現時点において民主化運動の核とするのは難しいということだった。
今回のインターネットが主役となったアラブの民主化ドミノは、正直に言って虚を突かれた感じだ。もちろん、これまでにネットを活用した途上国の民主化支援を思考したことはある。ソーシャルメディアが政権を揺さぶった例はこれまでもフィリピンなどであったが、その後のイラン、タイなどの反政府運動では、ソーシャルメディアが国を動かすまでには至らなかった。さらに途上国のネット普及率が極めて低いことを勘案すると、インターネットを民主化支援のツールとするのは時期尚早だと思っていたのだ。
しかし、アラブ諸国でソーシャルメディアが巨大な力を示した以上、インターネットも途上国民主化支援の重要なツールとして考えなければならない。ソーシャルメディアにも大きな弱点があることは、今回の民衆デモで明らかになっている。ソーシャルメディアは民衆の大波を作ることは出来ても、政府を倒したあとの受け皿となる政治体制まで形成することが出来ないという問題だ。チュニジアは勢いよく独裁者を追い出したが、今でも次の国の姿が見えない。エジプトも然りだ。
大衆運動にはリーダーが欠かせないが、ソーシャルメディア内にいる民衆は確たる政治的なビジョンを持たない人間の集団でもある。全員がオピニオンリーダーであるとも言えるが、野次馬であるとも言えるだろう。チュニジアやエジプトの反政府打動も、しっかりとした信念を持つ指導者にリードされていたら、もっと早く新しい国家の青写真が描けていたはずだ。
理論的指導者がいない民衆の運動は、時として蜂起した民衆を烏合の衆とし、悪くすると暴徒にしてしまう。今後の途上国の民主化にインターネットが大きな役割を担うことは否定しないが、集約された力を正しい方向に導く上質なメディアも併存しなくてはならないだろう。
ソーシャルメディアの拡大で最近、ジャーナリズムの衰退、言論の貧困化という言葉をしばしば耳にするようになった。しかし、ソーシャルメディアだけに国の行方を委ねるのは危険があることも明らかだ。ソーシャルメディアと有機的に結びついた高級ジャーナリズムの育成が途上国民主化推進の理想の手段だ。私も出来ればそうした新しい試みに参加してみたいと思っている。