被災地のがれき処理問題に見える「真昼の決闘」

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.279 6 Apr 2012
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

私は中学〜高校時代にかけて映画少年だった。映画狂少年だったと言って良いかもしれない。毎週末、新宿や下北沢の2本立て、3本立ての映画館に入り浸り、1年に軽く100本を超す映画を見ていたと思う。おかげで学校の成績は急降下、当時の劣等生の間ではやった暗喩を使えば「加山雄三」(優は3つしかなく、可が山ほどある学校の成績)どころか、「加山雄一」状態になってしまった。

大学生になった頃からなぜか映画館への足は遠のいて、今では海外出張のおり、飛行機の中で映画を見るぐらいだ。しかし、最近、書店の片隅に1個500円程度で売っている著作権切れになった古い映画のDVDを見る機会が増えている。これは映画を楽しむというより、画面の中に自分の若き時代の思い出を捜しているのだと思う。

初春のある日曜日、「真昼の決闘」を見た。ゲーリー・クーパーとグレース・ケリーが主演するこの映画は、主題歌「ハイヌーン」とともに誰もが知る名画であり、私も繰り返し見ている。ほとんどの方はストーリーを知っていると思うが、簡単に記すと、クーパーが演じる西部の町の保安官に逮捕された悪党が保釈され、仲間と共に町に復讐にやってくる。だが、日ごろ、保安官の業績を称え、正義漢ぶっていた人たちは、あれこれ理由をつけて誰一人、保安官を助けようとしない。命を落とすのが怖いことや、物騒な殺し合いが自分たちの町で行われることで、町の評判が悪くなることを恐れてのことだ。

結局、保安官が新妻の助けを借りて4人の悪党をやっつけるのだが、スクリーンの中の町の人たちの顔を、最近、どこかで見たような気がした。この既視感はどこから来るのか。しばらく考えているうちに、東日本大震災で発生したがれきの受け入れに反対する投棄地周辺の住民の顔が浮かんできた。

福島、宮城、岩手の3県だけで約2200万トンも発生した東日本大震災のがれきだが、1年たった今も200万トン未満しか処理されていない。大量のがれきが復興の妨げとなっていることは広く知られている。震災直後、滅私で被災者を助けようという空気が日本中に広がっていた。それを考えれば、すべての自治体が、がれき処理に協力するものと思っていたのだが、いざ、自分たちが住む地域にがれきが持ち込まれるとなると、一部の住民が受け入れに反対している。

先日、廃棄物最終処理場にがれき受け入れを表明したとある自治体の住民説明会の様子がテレビで放映されていた。懇切丁寧に住民に説明を試みる首長に対して会場から絶え間なく怒号が飛び、首長の声は掻き消されてしまう。テレビ画面に映し出される大声で怒鳴り散らす老人の顔は、申し訳ないが醜悪だ。クーパー保安官の前から恥ずかしそうに逃げてゆく西部の町の人の顔のほうが、よっぽど可愛い。ちなみにこの日の説明会に出席した住民の中で、受け入れに賛成した人はたった1人だったと翌日の新聞に書いてあった。

反対派の人たちは「行政が責任を持つといっても、震災や原発事故への対応を見ていると信じることができない」という。幼い子供を抱える母親が放射能や毒物混入の危険があるがれきが自宅周辺に持ち込まれることを嫌がる気持ちも良く分かる。だが、政府や自治体が安全対策に責任を持って処理すると言うのだから、ここはひとつ、厳重な安全確認のうえで受け入れを認めてもらえないものだろうか。

ここまで国民の信頼を失った政府も情けないが、あくまでも政府を信じられないと言うのなら、住民が自分たちで政府・自治体の対応をしっかり監視する態勢を整えることも一つの解決法だ。利己心だけで反対している人もいるだろう。こうした人には復興を待ち望む被災者のナマの声を届けたい。

最近は反対派住民を批判する町の声が大きくなっているが、彼らが特に変わった人たちとも思えない。被災地でボランティア活動をした人、寄付金や救援物資を送った人でも、もし、自分の町にがれきが持ち込まれることになったら、どう対応するだろうか。自問すると、反対派に振り上げた拳の先が揺らぐ人も多いと思う。エゴイズムという誰の心の中にも潜む厄介な人間の性(さが)をどう乗り越えるか、がれき処理問題は一人一人の日本人に突き付けられたテストでもある。

最近、新聞紙上で震災を境に日本人が優しさを取り戻したという記事をしばしば読む。日本人が持つ美点が未曾有の自然災害で呼び覚まされたという論旨だ。本当に被災者の苦しみを分かち合える人が増えているのなら、がれき処理問題は、近い将来、必ず解決する。がれき処理の顛末は、日本人の心の変化を見るリトマス試験紙かももしれない。

総論賛成、各論反対という思考パターンは、ODAのプロジェクト現場にも、しばしば顔を出す。利己主義と利己主義がぶつかった結果、危険なことや、不利益なことが弱者にしわ寄せされるケースも少なくない。だから、途上国におけるエゴイズムは、日本よりもっと深刻な社会問題を巻き起こす。

エゴの犠牲となって泣き寝入りする集団が出ない公平なODAの実施は、JICAの永遠の使命だ。現在、政府・自治体が進める震災瓦礫の処理と住民との話し合いは、今後のJICA事業遂行にも参考になることも多い。援助関係者は、がれき処理が自分たちの仕事であるとも考えてしっかり見ておこう。