後世の人類に遺産を残せ—ロンドン・オリンピック

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.283 11 Jun 2012
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

過日、テニス・プレイヤーとして世界を舞台に活躍した杉山愛さんの母、芙美子さんらと食事を共にする機会があった。現在、芙美子さんは、愛さんとともにスポーツ・クラブ「パーム・インターナショナル」を立ち上げ、テニスの普及に力を入れておられるという。WTA(Women's Tennis Association;女子テニス協会)のランキングではシングルスで最高8位にまで上った選手の母であり、またコーチでもあった方とのワインを交えてのお喋りだから、話は当然、テニス、そしてスポーツ全般に広がった。

私自身はテニス、スキー、ゴルフ、登山など一般の日本人がやるスポーツのほとんどに挑戦した経験はあるのだが、他人から「上手い」といわれるレベルに達したものは一つもない。思い起こせば小学校の頃、運動会で目立つ活躍をした記憶もないから、自分には生まれつき運動神経がないものと諦めていた。

その席でも芙美子さんに「残念ながら私には運動神経が無くて…」と泣き言をいうと、即座に芙美子さんから「人間にはもとより運動神経という神経はありません。運動神経というものは、生後の鍛練の中から生まれてくるものなのです」と諭された。言われてみればその通りだ。人体を精査しても「運動神経」なる神経はどこにも見当たらない。

この夜の芙美子さんの教えは、人間には誰でも生来の才能はない。しかし、その後の努力によってどんな才能でも開花させることが出来る、というあたりだと勝手に解釈して、ほろ酔い機嫌で帰路についた。しかし、良く考えると努力に耐える強い精神も生まれ持った才能の一つだ。不幸にしてそうした才能も持ち合わせていない私は、スポーツ下手のまま、人生を終えることになるのだろう。

やるのは下手でもスポーツ観戦は大好きだ。スポーツ観戦と言えば、今年は4年に一度の大スポーツイベント、夏季オリンピック・イヤーであり、7月27日からロンドン・オリンピックが開幕する。ロンドン・オリンピックの2週間余の会期中、私を含めて世界の人々はテレビの前に陣取る時間が多くなることだろう。

ロンドンでの夏季オリンピック開催は3回目で、同じ都市で3度のオリンピック開催は初めてだ。個人的には多少、不公平な気もするが、今回のロンドン・オリンピックは、これまでの大会と趣が異なる印象があるので期待もしている。それは、前回の北京大会のように、国威発揚が露骨に出て人間性が消えてしまった大会や、商業化してショー的な部分が多過ぎた1984年のロスアンゼルス大会などに比べ、今年のロンドン大会には人の温もりを感じる部分がありそうだからだ。

ロンドン・オリンピックは、余分な国威発揚を避け、経費を削減、新設される選手村や競技場の再利用、競技施設地域内の野生動物の保護、レンタル自転車の導入など環境面での配慮が随所に見られる。なによりも私を惹きつけるのは、かつての陸上の名選手、セバスチャン・コー・ロンドン五輪組織委員会(LOCOG)委員長が、7年前の国際オリンピック委員会(IOC)でロンドン招致を訴えたさい、「世界の若者が五輪の力でスポーツに親しみ、スポーツの影響で互いが繋がるきっかけになるような大会にする」と語ったことだ。

ロンドン開催が決まってからLOCOGは、コー委員長の約束通り、ブリティッシュ・カウンシルや国際開発省(DFID)などと協力、オリンピックでは初めてとなる後世への遺産計画(Physical Legacy of LONDON 2012 Games)である「国際インスピレーション・プログラム」を作成した。同プログラムは世界、特に開発途上国の学校やコミュニティにスポーツを普及させ、スポーツや遊びを通じて子供や若者の才能を啓発、持続的でより豊かな人生を送れるようになることを支援するものだ。

LOCOGのHPによると、2007年からバングラデシュで水泳指導、南アフリカで女子のスポーツ参加促進、モザンビークで児童の登校促進、パラオで太り過ぎ防止と放課後の運動指導など20か国でプログラムがスタートしており、1000万を超す子供が恩恵を受けているという。国土に湿地帯が多いバングラデシュでは、水難事故で命を失う17歳以下の若年層が年間約1万8000人(ユニセフ統計)もいるが、LOCOGが水泳指導を開始してから若年層の水死者は激減、水泳指導実施地域の水難死者数は、未実施地域の5%に減っているという。

こうした事例を聞くと、さすがにイギリスと言いたいところだが、どっこいJICAも負けてはいない。青年海外協力隊員などがスポーツを通じて途上国の若者に新たな道を拓く支援を行っている。スリランカでバレーボールを教えた隊員は、対立していたシンハラ人とタミル人の子供を同じチームに入れて交流の場を作った。モロッコで体育を指導した隊員は、体育用具不足などからそれまでほとんど行われていなかった小学校での体育授業普及に貢献した。パレスチナでは体育教育の女性シニア隊員が幼い女の子に体を動かす喜びを教え、難民キャンプで暮らす女の子たちに笑顔を呼び戻している。

こうしてみると、スポーツは上手いとか下手とかの低い次元のものでなく、もっと深い何かを教えてくれる崇高なものであることに気付く。運動神経云々と言ってスポーツの技術に拘る自分が今更ながら恥ずかしい。ロンドン・オリンピックは日本選手の成績ばかりに一喜一憂せず、平和で安定した国際社会づくりに貢献する祭典として心穏やかにテレビ観戦しようと思っている。