前世期の遺物?新聞記事の切り抜き

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.285 12 Jul 2012
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

大学の前期授業も終わりが近づいてきた。私の授業は国際政治の現場の話をすることが多いのだが、熱中するとつい長い時間を費やしてしまう。あと数回しかない前期の授業中にシラバスに書いたことを全部話す時間は、もうないだろう。
だが、重要なことはすべて話しておこうと思うので、近頃は毎回、山ほどの資料を鞄に詰め込んで、授業に臨んでいる。ある日、授業が終ったあと、一人の学生が質問にやってきた。たまたま彼女の質問に答える資料が鞄の中にあったので、鞄の中を捜し始めた。ところが、中の資料が多過ぎてなかなか見つからない。仕方がないので、鞄の中身を全部出して探していると、それを見ていた生徒が「先生はずいぶん沢山の新聞の切り抜きを持っているのですね」と変なことに感心する。確かに机の上には大量の新聞の切り抜きが積まれていた。

われわれの世代、特に新聞記者だった私にとって、新聞のスクラップは常に身の回りにある必需品だ。私は記者になってから半世紀近く、現在も毎日欠かさず、必要な新聞記事を切り抜いている。いらなくなった記事は捨てるが、残す価値のある記事を張るスクラップ・ブックは年々、増え続け、自宅の書斎やオフィスの書棚には、表紙も中に張ってある記事も、共にセピア色に変色したスクラップ・ブックがずらりと並んでいる。

最近では私もパソコンで検索して調べることも多くなり、ほとんどのことが簡単に見つかるネットの機能に感心しているが、いざという時に役立つのは、ネットよりも半世紀かけて作成した自製のスクラップ・ブックだ。

活字離れ、新聞離れが著しく、ほとんどの資料をパソコンから集める環境の中で育った現代の若者に新聞の切り抜きは、見慣れない遺物に映るらしい。「鞄の中にごみ屑を詰めて歩いている」といった目つきをするくだんの生徒に、受けた質問の答以上の時間を費やして、新聞切り抜き記事の重要性を説いた。彼女が納得したかどうかは分からない。

もちろん、私は今後も新聞のクリップ作業を続けてゆくつもりだ。切り抜く記事は自分の専門である国際ニュースが中心になるだろう。最近は、東、南シナ海の領土問題、アメリカの大統領選、ギリシャなど欧州の財政・経済問題、ミャンマーの民主化、シリア情勢などの記事を切り抜くことが多い。ミャンマーの記事を保存するスクラップ・ブックなどはたちまちページがいっぱいになり、狭い書棚に新しいスクラップ・ブックが増えて困っている。

カンボジアの内戦が終わってしばらくした頃、マレーシアに出張したことがある。出張目的の一つはマレーシア戦略国際問題研究所(ISIS)の会長兼CEOだったノルディン・ソーピー博士(2005年逝去)に会うことだった。ソーピー博士は2020年までに先進国入りを目指す「ビジョン2020」を起草するなど、「マレーシアの知性」と言われた人物で、当時、マレーシアの政治、外交問題などに大きな影響力を持っていた。

クアラルンプールのISIS本部で博士と基幹の話をした後、雑談となった。その時、ソーピー博士は「最近、日本の多くのメディアがカンボジアに支局を開設したと聞く。それなのに、東南アジアにおいてカンボジアよりもずっと存在感が高いマレーシアに、なぜ、支局を置かないのか」と、幾分不服そうに尋ねてきた。彼の言う通り、その頃、日本の主要メディアは、プノンペンに支局を開いて、多くの特派員が常駐していた。目的は20年におよぶカンボジア内戦後の混乱、国造りを取材することと、初めて本格的に派遣された日本のPKO活動のカバーなどだった。

「日本のメディアがマレーシアを軽視しているわけではないが、支局はニュースの多い国に優先して開設される。マレーシアは政治的にも社会的にも安定していて、混乱の中にあるカンボジアに比べると大きなニュースが少ない。だから、支局を置かないのだ。貴国の社会が不安定になって、多くの外国のジャーナリストが常駐するようになるよりも、平和で安定した国であり続ける方がずっと良いでしょう」と、私が言うと、博士は苦笑いしていた。

同じことが私のスクラップ・ブックにも言える。大国を除くと切り抜く記事が多い国は、押しなべて政治、経済情勢などが不安定な国だ。私のスクラップ・ブックを賑わす国よりも、たまにしか顔を出さない国の国民である方が、はるかに幸せであることは言うまでもない。

ODA関連の記事についてはどうだろう。新聞各紙が競ってODAの記事を書いていた80年代末から90年代初頭、私のスクラップ・ブック「ODA」の項は、1週間ともたず、新しいものに変えられていた。だが、最近は小さい記事まで丁寧に切り抜いても、往時の3分の1の量にもならない。以前は偏見や誤解に基づく批判記事も多かったから、ODAの記事が少なくなったのは、ODAに対するマスコミの理解が深まったからだともいえる。だが、あまりに規模が小さくなった日本のODAに、マスコミの関心が薄れているからともいえる。

怪しい批判記事も困るが、メディアの関心を失うことも辛い。ODAは複雑で、掲載される記事の多寡と、当事者の幸福度が反比例するという私の"スクラップの法則"を単純には適用できない分野だ。