国民には政党名の真意を読む能力も必要

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.286 19 Jul 2012
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

民主党を飛び出した小沢一郎氏らが7月11日、新党「国民の生活が第一」を立ち上げた。あまりに長い名称にどんな略称を付けるか、マスコミは苦労したが、17日に新党が中央選管に略称を「生活」と届け出たことで、今後は「生活」が使われるだろう。小沢新党の名前は長いばかりか、伝統的な政党名を基準に考えると、かなり奇抜なものでもある。ほかの先進国にこんなに風変わりな名称の政党を持つ国はあるのか、と考えてすぐに浮かんでくるのはイタリアだ。

イタリアにはずいぶん前から、変わった名称を持つ政党があった。1993年、「イタリアのメディア王」と呼ばれる実業家だったベルルスコーニ氏(前首相)が、反左翼、自由経済を看板に掲げて結党した新党の名は「フォルツァ・イタリア」。泡沫政党は別として主要政党は自由党、保守党、民主党といった古典的な名前を付けるのが常識だった時代に、サッカーの応援などに使われてきた「頑張れ、イタリア」という意味の「フォルツァ・イタリア」を政党名にするイタリア人に、驚くよりも正直、呆れたという記憶がある。その頃の感覚からいえば、とても真面目に考えた名前とは思えなかった。

イタリアには「フォルツァ・イタリア」の後にも、2000年に「マルゲリータ(ヒナ菊)・民主主義とは自由」という変わった名称の総選挙対応の統一会派が結成されている。私などマルゲリータといえばピザぐらいしか思い浮かばなかったし、一字読み間違えてマルガリータと読むと、大好きなテキーラ・ベースの冷たいカクテルを思い出し、新聞などで会派名を見るたびに喉が渇いてきたものだ。

この統一会派も泡沫政党の寄合ではなく、96年から2年間、政権を担った中道左派連合「オリーブの木」の一部と、「オリーブの木連合」に参加していた「民主主義者とイタリア再生」など中道左派の4党が集まった会派だった。代表はルテッリ元ローマ市長で、翌2001年の総選挙では首相候補としてベルルスコーニ氏(当時は中道右派連合「自由の家」を率いていた)と接戦を繰り広げた。

「ヒナ菊・民主主義とは自由」、「オリーブの木」、「民主主義者とイタリア再生」、「自由の家」などという名称も「頑張れ、イタリア」に負けないユニークな政党・会派の名称だ。最近は「イタリアのための未来と自由」などという名の政党もある。19世紀初頭、イタリアを統一した英雄、ガリバルディの軍隊は「赤シャツ隊」と呼ばれていたから、イタリアにはユニークな名前を付ける伝統があるらしい。

イタリアに次いでユニークな政党名を持つ国として浮かんでくるのは、ベルギーだ。「フラームス・ベラング(オランダ語を話すフラマン系住民のための利益)」、「デデッカー・リスト(デデッカーのリスト)」など主要政党ではないが、下院に議席を有する政党がある。

ところで、最近では日本も諸外国の変わった政党名を笑っていられないほどユニークな名を持つ政党が増えてきた。「みんなの党(英語名:Your Party)」「たちあがれ日本(The Sunrise Party)」などはイタリア・バージョンともいえる斬新な政党名だ。ちなみに新党「国民の生活が第一」の英語名は「People's Life First」になったという。

こうした変わった名を持つ政党が多い国の共通点は何かと問われれば、答えは簡単、政治が不安定であるということだ。中世以降のイタリアは、都市国家が乱立していた地域だ。その後遺症なのか、多くの政党が結成され政治的安定感が欠如した国だった。戦後しばらくの間は、社会党を核にした中道左派と、中道右派の連立政権が頻繁に交代し、その後も政治家の汚職、マフィア絡みのスキャンダルなどがつねに政局を揺り動かしてきた。3度も首相の座についたベルルスコーニ氏などは極めて稀な長命政治家だが、同氏も「フォルツァ・イタリア」、「自由の家」、「自由国民」など中道右派系の政党を作ったり、壊したりしており、安定的政治勢力のリーダーとは言えない。昨年末、財政危機脱却のために首相に就任した経済学者、モンティ首相の任期も長くはないだろう。

2010年6月の総選挙後の混乱で、541日間も政治空白が続いたベルギーの政治が安定していないことは言うまでもない。2011年12月、6つの政党の連立でやっと正式政権が成立したが、少数派のフランス語圏出身であるディルポ政権にも短命が囁かれている。一方、小泉政権以後、毎年のように首相が交代するという不安定な日本の政治に、世界が呆れていることは誰もが承知のことだ。

先進国、途上国を問わず、政治が不安定な国は必ず国力が衰退する。日本人は長い間、イタリアの政治混乱を対岸の火事のようにして見てきたが、今では"日本のイタリア化"という言葉が単なる揶揄の域を超えている。ユニークな名称を持つ政党が多くの出現したことは、その明快な証しなのかも知れない。

政党がどのような名称を選ぼうと、それは当事者たちの判断だが、国民は名称の印象に左右されることなく、何を目指している政党なのか本質を冷静に見極める目が必要だ。それは先進国の国民だけに言えることではない。

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のように国名に「民主主義」「人民」「共和」という立派な言葉を入れながら、国の政策から民主主義も人民も消え,共和の舵取りの気配さえない国もある。途上国には「人民」「愛国」「民主主義」などの言葉を政党名に入れる政党が数多い。だが、真の民主主義、人民主体の国家を作り上げた国はまだ少ない。欺瞞の国名や政党名の裏を読める国民を育てるのも、日本のODAの大きな役割だろう。