Glolish (Global+English)が世界語で大丈夫?

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.288 3 Oct 2012
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

15年ぐらい前の話だが、国連開発計画(UNDP)の総裁に就任したばかりのマロック・ブラウン氏が来日、東京のホテルで記者会見が開かれた。会見の中で私がちょっと知ったかぶりをした質問をしたためか、終了後、横に座っていた民放テレビの若い女性記者が「開発の事がまだ良く分からないので」と、総裁の発言内容について尋ねてきた。会社は違っても開発協力に関心を持つジャーナリストが増えることは私の願いでもあるから、丁寧に説明、解説などをして別れた。

しばらくして、私が勤めていた新聞社に彼女からかわいらしい封書が届いた。開けて読んでみると、ごく普通のお礼の言葉が並んでいたが、最後だけ「ありがとうございましたね」という変な日本語で結んであった。自分が帰国子女だと言っていたことを思い出したので、「日本語が完全でないのだ」と勝手に解釈して手紙を閉じた。

その後、彼女からもう一通、手紙を貰う機会があり、その手紙にも「ごじゃりまする」といったような言葉が入っていた。同僚にその手紙を見せて「こんな日本語で記者をやってゆけるのかな」と言うと、「知らないのですか。最近の若者は、わざとこういった言葉遣いをして遊ぶのですよ」と笑われた。確かにそれは、妙に魅力的な文章でもあった。

その後、私は大学に身を転じて学生と付き合うことが多くなったから、今では「…とか」「てか…」「…だよ」といった文体にも慣れている。意識して使っていると分かるし、それなりに印象的な表現法だと思うから、別段気にならない。

9月12日の新聞各紙に文化庁が発表した「国語に関する世論調査」の結果が掲載されていた。調査の結果として、敬語を使う人や電車の降車時などに「すみません」と声を掛ける人の数が急増していることが報告されていた。私も近頃、通勤の車内で隣席になる人に一声かけて席につく人の姿をよく見るので、この調査結果に首肯した。ただ、こうした傾向が日本の良き伝統の復活なのか、突然切れる人が増えたことに対する市民の防衛策なのか、良く分からない。前者であることを望むだけだ。

本調査は恒例ともいえる日本語の変化、誤用についても指摘していた。誤用例としては「口先三寸」と「舌先三寸」、「のべつくまなし」と「のべつまくなし」、「一つ返事」と「二つ返事」などが指摘されている。意味の取り違え例としては「にやける」「割愛する」などがあった。私は文章を書くことを生業として、もう半世紀近くになるが、うっかりすると誤用しそうな例もあって、笑ってはいられない。

最近、若者を中心に使われる日本語としては、「まったりする」「がっつり食べる」「真逆」などの言葉があった。それなりに上手く気持ちを表している言葉だと思うので、私も学生と話をする時など、年甲斐もなくこれらの“若者語”を使うことがある。ただ、今は「正反対」という意味で使われている真逆(まぎゃく)を、従来の真逆(まさか)と読む大人には、意味が違ってくるから使わない。

流行語というのは、その時々の社会が醸し出す空気の中から自然に生まれてくるもので、最新の社会のムードを表現する記号でもある。大流行した言葉でも時代の雰囲気に合わなくなれば、いつか消えゆく。たまに明治の文豪の本を書棚から引っ張り出して、読み返すことがあるが、あまりに現代と違う言葉遣いに疲れて途中で投げ出すこともある。

言葉は紛れもなく日々、変形する生き物だ。変形するのは目まぐるしく変わる社会現象をより的確に表現するための脱皮と言ってもよい。社会は移ろいやすいものだから、すぐに消える言葉もあるが、新しいライフスタイルに適合、正しい日本語として定着する言葉もある。

「現代用語の基礎知識」(自由国民社刊)が1984年から発表している「流行語大賞」の過去の流行語を見ると、まだ使われている言葉もあるが、今はもう意味さえ分からない言葉も多い。20年前、「チョベリバ」などの奇語を使っていた高校生も、中学や高校に通う子をもつ親になって、子どもの流行語に顔をしかめているのだろうか。個人的にはさすがに「ナウい」という言葉は使わないようにしているが、つい「メルアド」なんて言って、「古い」と笑われることもある。

もちろん、言葉の変化は日本語に限った話ではない。各国の言葉も長い歴史の中で刻々と変化している。開発など国際関係の仕事に関わる人は、いやでも外国語を使用する機会が多いから、変化する外国語に適応するのは大変だろう。繊細な言い回しが必要な交渉や、説得の場に居合わせたとき、相手の心に届く話をするには、時に生きるコンテンポラリーな言語表現が求められると思う。

ところで、最近、良く聞く言葉に「グローリッシュ(Glolish)」というのがある。「Global」と「English」の合成語だ。グローバル化して世界の共通語となった英語は、もはや新たな別の言語であり、英語を母語とする人たちと多少異なる発音や文法は問題ないという。

となると、GlolishはBroken Englishでもある。便利であることは間違いないが、Brokenである限り微妙な表現が出来ないことや、聞き手によって意味を取り違えるといった欠点は拭えない。昨今、地球がザワザワしているのは、Glolishの蔓延で異国間のコミュニケーションが十分に取れていないからではないかとさえ思う。

がっつり食べる孫の気持ちを祖父が真逆に解釈して、家庭内に世代間のすき間風が吹くことだってあるのだ。