外国人に奨学金を出しても、自国民には付与しない国とは?

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.289 23 Oct 2012
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

11月中旬にカタールのドーハで開かれる「第4回世界教育改革サミット(WISE)」にゲストとして招かれたので、有難くお引き受けした。

私は新聞社やJICAの仕事などで、100近い世界の国に足を踏み入れた経験がある。だが、中東地域となるとアラブ首長国連邦(UAE)に、ほんの数日間滞在したことがあるだけで、私にとって未知の世界だ。カタールについてもあまり知識を持っていない。カタールと聞いて頭にすぐに浮かんできたのは、アルカイダに関する報道などで世界に知られる衛星放送「アルジャジーラ」が本社を置く国ということと、2025年に中東で初めてサッカー・ワールドカップが開かれる国ということぐらいだ。

いや、もっと強烈なこの国の印象があった。それは、四国よりもずっと狭い国土(1万1493平方キロ)の小国でありながら、世界で13番目に多い原油確認埋蔵量を誇る国であるということだ。土俵の鬼、45代横綱若乃花(初代)は、「土俵には金が埋まっている」とか言ったそうだが、カタールは全土の下に金が埋まっていると言っても過言でない。潤沢な石化資源をバックにした経済は、当然快調であり、1人あたりの国内総生産(GNP)は7万4901ドル(2010年推定 共同年鑑2012)、アメリカの4万7240ドル(2010年 同)、日本の4万610ドル(2009年名目 同)に比較してみれば、この国がどれだけ豊かな国か想像がつくだろう。なにせ、7世帯に1世帯は、100万ドル以上の資産を持っていると推計される夢の国なのだ。

しかし、旅行案内でも読めばすぐに得られるこの程度の知識では、遠路はるばる出かけて行っても、無益な旅になるのは必至だ。そこで目下、カタールについて追加知識の取得に励んでいる。幸い、先日、カタール財団のアルサ・スレイマン学生支援局長が来日したので、日本記者クラブで開かれた会見を聞きに行った。カタール財団は、ハマド現首長が首長就任直後の1995年に設立、首長夫人が議長を務める格式高い財団で、教育、科学・技術研究、コミュニティ開発など幅広い分野で活動、多大の成果を挙げている。今回、私が参加するWISEも同財団が運営しているという。

スレイマン局長の話で面白かったのは、財団が世界の大学の有力学部だけを集めて運営しているリーダーシップ・アカデミーという事業だ。例えばジャーナリズム・コミュニケーション学ならノースウエスタン大学、国際政治学ならジョージタウン大学、コンピューター・ビジネス学ならカーネギーメロン大学などアメリカの有力大学の看板学部をサイエンス・テクノロジー・パークにあるエデュケーション・シティに集め、希望する学生に本校と同じ授業と卒業資格を提供している。

だが、私が一番驚いたのは、同財団がこうした卓越した教育環境を形成、運営していることではない。スレイマン局長が「エデュケーション・シティ内にある大学で学ぶ外国人留学生に積極的に奨学金を付与しているが、対象者にカタール人はいない」と言ったことだ。「なぜ、自国の学生に奨学金を出さないのか」という素朴な質問に「カタールではすべての国民の教育費が無料だから、あえて奨学金を出す必要はない」という答が返ってきた。なるほど、だ。

日本も豊かな国家であるとはいえ、私の周辺には学費をアルバイトで稼ぎながら学んでいる学生が少なからずいる。アルバイトに疲れて勉学に身が入らない日もあるようだ。それに比べ、カタールでは学問を突き詰めたいと思う国民なら、誰でも無償で心行くまで学ぶことが出来るのだ。しかも、かつての社会主義国家のように、同じく無償ではあっても未整備の教育環境ではない。自分が経験したことがない世界は、頭で理解出来ても、実像はイメージしにくい。「厳格な資格審査があるはずだ」「無償だと物見遊山で来る学生が増えないか」など、自分の尺度からの疑問が拭えない。

自分たちの尺度では測りきれない世界を理解するのに苦労している人の姿は、以前、JICAの民主化セミナーの講師をしていたときに何度か見た。冷戦構造崩壊後の90年代初め、JICAは移行期にある旧社会主義国家の役人や、ジャーナリストを対象に民主化セミナーを数回にわたって開催した。私が担当したのはジャーナリズムという分野だったが、民主国家における記者と政治家、政府との関係、取材方法などを旧社会主義国家の新聞記者らにいくら説明しても、彼らには理解出来なかった。

講義の後、決まって「そんなことを書いて政府の妨害に遭うことはないか」「命は大丈夫か」などの質問が来る。「民主国家では正規のルールで取材する限り、政府や政治家の介入は排除される」と答えても、全員首を傾げるだけで、納得出来ない顔のまま教室を出て行ったのだ。

世界中、どこの国にもその国独自の価値観がある。ほかの国の国民から見ると、どうしてそんなことが分からないのか、と思う事象も生まれた時から身についた間尺では測れないものもある。基本的人権への考え方はその最たるものだが、社会福祉、教育制度などの分野にも外国人には共鳴しにくいものも多い。

援助の世界にあって援助国側は、無意識のうちに自分たちの基準で、相手の対応を判断する癖がついてしまっているのではないか。今回、恵まれたカタールの教育環境をうまく理解出来ない自分を見て、途上国の人々の思考回路を少し理解した気もする。

妬まず、羨まず、ひがまず−3猿の心境でリッチ・カントリーに旅立つ心構えは出来た。