アルジェリアでのテロ事件から見える国際社会

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.295 4 Feb 2013
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

アルジェリア東部イナメナスでの人質事件には、治安の悪い国で働くことの厳しさを改めて知らされた。

生と死の狭間での仕事を余儀なくされるのは、今回、犠牲となった企業戦士たちだけとは限らない。途上国での開発援助に携わる人たちも同様だ。過去にはJICAやNGOの関係者が、テロリストが起こした卑劣な事件に巻き込まれた事例がいくつもある。開発援助に関わる人たちは今回の事件を、身近な災難として見守っていたことだろう。

私もアルジェリアで、ほんのちょっと緊迫した仕事をした経験がある。それは2004年1月、前年5月に北部のブールメンデス県ゼンムリ付近で起きた大地震の救援に出動した日本の国際緊急援助隊(JDR)の活動の事後評価を外務省から委託された時の事だ。JDRはこの救援活動で、アルジェリア‐日本間の13000キロという距離をものともせず、欧州各国の援助隊とほぼ同時に現地に入り、トルコ隊とともに生き埋めとなっていた男性1名を救出するなど大きな成果を挙げている。

当時のアルジェリアの社会情勢は、15万人の犠牲者を出したとされる政府軍と武装イスラム集団(GIA)の10年におよぶ内戦が終焉して表面上は落ち着いていた。だが、GIAの分派であるイスラム過激派組織「布教と聖戦のためのサラフ主義集団(GSPC=現イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ)」の破壊活動が徐々に活発化していた。首都アルジェの治安はなんとか保たれていたが、一歩市街に出ると武装組織が闊歩、つねにテロの危険が存在していた。

被災地のゼンムリは、アルジェから東に約60キロ離れており、現地調査に行くには長いドライブを余儀なくされる。警備のため、現地に向かうわれわれの車には、前後に2台のパトカーと2台の白バイが付いていた。信号で停止するのは危険ということで、パトカーはサイレンを鳴らし続け、赤信号も止まらずに猛スピードで交差点を走り抜ける。身を守って頂くのは誠に有難いのだが、1時間以上も前後で甲高いパトカーのサイレンを耳にし続けると、多少頭がおかしくなる。現地に到着してサイレンから解放され、ホッとした記憶が今も生々しい。

アルジェリア政府関係者らのご協力で、約1週間にわたった現地での調査は、すべてが順調に終わった。アルジェの町は独特のエキゾティズムに溢れ魅力的だったし、まだ地震の爪痕が残っていたものの、地中海に近い被災地には、どこかのどかな空気が流れていて心地がよかった。サイレンにいささか煩わしさを感じていた私などは「それほど危険な国とは思えない。過剰警備ではないか」と思ったほどだ。

しかし、帰国後、新聞などでアルジェ市内でも自爆テロ事件が続発していることを知り、厳重に警備してくれたアルジェリア警察当局への気持ちは感謝に変わった。特に2007年12月にアルジェ市内の国連関連機関が入るビルが爆弾テロに襲われ、国連職員11人が犠牲となった事件には、背筋が寒くなった。テレビの画面に映し出された粉々になった黄色の建物は、私がアルジェに滞在中、幾度も訪ねたものだったからだ。

さて、今回のイナメナスの事件だが、結末について無念としか言いようがない。そんな中でいくらかでも救われる思いがしたのは、政府および大手プラントメーカー日揮の事件への適切な対応だ。 政府は人命第一の方針を崩さす、対策本部の設置、外務副大臣、政務官の派遣、英仏など関係国との連携、情報収集・集約を適切に行い、政府専用機派遣も素早く決定した。これらは高く評価される。過去、邦人が関係する海外事件で、稚拙な対応を責められた苦い経験を活かした結果だろう。

事件発生直後は「犠牲者でも出たら安倍首相の責任論が高まる」などと、政局づくりが習性になった一部評論家が見当はずれのコメントを述べていたが、テロリストに毅然とした態度を崩さない米英など国際社会の対応に、視野狭窄的な声は小さくなり、マスコミにも無理に政府の対応にケチを付けようという雰囲気は消えていった。テロとの戦いがどれほど過酷なものか、理解したのだろう。 被害企業である日揮の対応ぶりも素晴らしかった。こまめに情報提供をする一方で、錯綜する現地から流れてくる未確認情報は発表を控え、無駄な情報の混乱を避けた。感心したのは同社が、日本の国益と相手国の開発支援に重きを置くという揺るぎない信念のもとで仕事をしていることが節々に感じられたことだ。

さらに現地従業員の安否情報の提供の仕方にも感服した。日本人の安否だけに関心が行きがちの記者会見の席上、担当者は日本人従業員、外国人従業員を差別なく扱い、日本人従業員の最終確認が終わった後も「まだ安否不明の外国人従業員がいる。引き続き情報収集に努める」と緊張感を緩めなかった。そこに世界を股にかける国際企業の責任と誇りが見えた気がする。

あまりにも大きな代償ではあったが、犠牲者は残された日本人に数多の教訓を与えてくれた。そのひとつを挙げれば、真の国際社会とはどんなものであるかを、平和ボケした日本人に教えてくれたことではないだろうか。多くの日本人が、今、自分たちが享受する繁栄と平和が過酷な基盤のうえに成り立っていることを知っただろう。また、どういう人たちがそれを支えてくれているのかも分かったと思う。 犠牲となった皆様には、心からのお悔やみを申し上げたい。厳しい環境の中での業務、ご苦労さまでした。合掌。