往事を茫々とさせるな

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.306 9 Jul 2013
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

「往事茫々」とは昔の出来事の記憶がぼんやりして、はっきりしなくなった状況を指す。古い記憶を頼りに話をする時など「往事茫々ですが…」といって、逃げ場を作る便利な言葉でもある。頭の良い人でも、昔の記憶は次第に薄れるもので、往事が茫々となることは避けられない。

「往事」というのは、いったいいつ頃まで遡った時代の出来事を指すのだろうか。手元にある新明解国語辞典(三省堂)を開いてみても、「往」は「昔、時が過ぎること」とあり、「往事」は「昔の出来事」、「往時」は「昔、近時の反対」としか書いてない。「昔」は「10年ひと昔」というように、10年を一期とすることが多いから、「往事」は少なくとも10年以上前の出来事になるのだろう。

最近、昔の外交交渉の経緯を巡って、当時の交渉にあたった担当者間の記憶の相違が、マスコミを賑わしている。その一つは前々回(6月14日)の小欄でも触れた野中元官房長官の尖閣列島領有権棚上げ合意説だ。1972年の日中国交正常化交渉の席で、棚上げ合意があったという野中氏の話は、田中元首相からの仄聞だが、当時、交渉を補佐した外務省幹部の暗黙了解説は、本人の記憶だ。交渉の公式文書に記録がない限り、棚上げ論は認め難いが、40年以上前の事象となると、聡明な外交官の頭の中も少しは「茫々」としてくるものなのだろうか。

しかしながら、その次に起きた論争は、まだ11年前の話で「茫々」となるには早すぎる。その論争とは、2002年の日朝首脳会談に係る交渉記録の有無を巡るものだ。当時、小泉内閣の官房副長官として経緯を熟知する安倍首相が、6月12日の自身のフェイスブックに「(交渉を担当した)田中均外務審議官(当時)が交渉記録の一部を残しておらず、外交を語る資格がない」、「田中外務審議官は、北朝鮮との関係が切れることを懸念して、首脳会談後に帰国した5人の拉致被害者の北朝鮮送還を強く主張した」と批判したことに始まる。

これに対して田中氏は「記録が作られてないということは断じてない」、「北朝鮮に残された拉致被害者の子供たちに危害が及ぶ心配があったので、拉致被害者の意思を確認した。拉致被害者の永住帰国にネガティブだったわけではない」と反論している。6月25日の記者会見でこの論争について問われた菅官房長官は「安倍首相は、ある意味で当時の経緯を一番良く知っている人なので、コメントは責任を持って書かれたものなのだろう」と、安倍首相に分がある裁定をしている。

どちらが正しいのか私には判定できないが、論争を「茫々」のままにして放置しておくと、将来、再開が待望される日朝交渉に禍根を残すことになるだろう。

急に卑近な話になるが、私も本欄で遠い昔の途上国での体験をしばしば引用する。本欄の愛読者である私の生徒から「先生は古い話をよく覚えていますね」と感心して貰ったことがある。正直に述べると、生来、あまり賢いとは言えないうえ、年と共に脳の働きが鈍ってきた私の記憶容量は、今やごく僅かとなっており、往時の出来事の記憶は日々茫々をしてきて、ほとんど忘れかけている。

だからといって、いい加減な話を書いているわけではない。私の茫々とする記憶を鮮明に蘇らせてくれるのは、オフィスや自宅の書斎に置かれている相当な量の資料だ。若い頃からこんな日が来ることを予測していたのか、新聞社やJICAの仕事で海外に出かけた際、毎日克明に日記をつけ、帰国後、新聞や雑誌に書いた記事はすべてを保存、現地で得たあらゆる資料を持ち帰り、分類して残してきた。「なんと細かい男だ」と笑われるかもしれないが、後になってその国の当時の物価を知る資料になるのではないか、とレストランで貰った領収書の明細まで混ざっている。

原稿を書き始めて往時の資料が必要になった時、40年にわたって貯めた資料の山の中から目当ての資料を探し出して読むのだ。自分の頭の中にあった記憶と、資料にある事実が違うことが多々あって、驚かされる。往時、強烈な印象を受けた出来事でも、記憶は時と共に薄れ、いつの間にか別の話と混同していることさえある。

話は日中交渉、日朝交渉に戻るが、重要な外交交渉で、なぜ、あのような論争が起きるのだろう。2つの論争に関する限り、話をややこしくしているのは、政治家と外交官の記憶の違いだ。激しい鬩ぎ合いがある実務者同士の直接交渉の場で、いろいろな話が出たことは想像に難くない。独断だが、外交官の頭の中には、厳しい外交交渉の記憶が強く、公式文書を超える交渉の姿が頭の中に残っているのではないか。だから、後世に残された公式の交渉経緯と、幾分違う発言が出るのだと推測する。

人の記憶が時と共に茫々としてくることは避けられない。揺るぎない公式文書の作成が第一だが、公式文書以外にも、その場で使ったあらゆる資料を残し、後世になってその資料に多くの人がアクセス出来るシステムを整備したらどうだろう。私的なものも含め、交渉の場で使ったあらゆる資料を、国立公文書館や外交史料館あたりに保存することを薦める。使用した資料を提出するのを拒んだ人に、後日、公の場で私見を述べる資格がないのは当然だ。現状では両舘に公文書以外のものを保存することが難しいことは知っているが、ぜひ、前向きに考えて頂きたい。

最後に「資料保管は私を見習え!」と言いたいところだが、あまりに次元が違う話なので、胸を張るのは止めよう。