星空を見て熱帯夜から逃れよう

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.308 9 Aug 2013
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

「暑い」「暑い」と愚痴りながら、汗で光った顔をしかめる毎日が続く。紺青の空に輝く太陽が恨めしく見える日もあるが、夏が暑いのは当たり前だ。農作物の作況や家電、衣類などの販売に悪影響を与える冷夏よりずっとましだと考えれば、気分もいくらか和らいでくる。

盛夏になると、リッチなグループは避暑地や海外に移動するようだが、そんな余裕のない庶民は、日常生活の範囲内で出来る避暑を試みなければならない。私は若い頃、ビアホールで冷たい生ビールをあおるという、まことに知恵のない避暑法に終始していた。だが、歳をとると暑さが残る都心で飲み、混雑した通勤電車に長時間揺られ帰宅する生活は体力を消耗し、かえって夏バテを助長するだけになるので、止めた。

最近、定番にしている避暑法は、帰宅後、自宅の庭に出て夜空を見ながら冷たいビールを飲むことだ。いつまでたってもビールと縁が切れない生活に、いささか忸怩たるものもあるが、シャワーを浴びた後、微風を頬に受けながらビールを飲めば、しばし暑さを忘れる。

ある日、ぼんやりと星空を眺めていて、ふと、今年は数々の天体ショーがある年であることを思い出した。子どもの頃はいくつかの星や星座を見分けることも出来たが、今は金星以外、どれがどれだがさっぱり分からない。そんな天体音痴でも天体ショーと聞くと、なぜか心がウキウキしてくる。

3月には、2年前に発見されたばかりの新彗星「パンスターズ彗星」が暁の空に見えた。さらに5月、水星、金星、木星の3惑星大接近という天文ファンには見逃せない天体現象もあった。今後も8月中旬に3大流星群の一つペルセウス座流星群の活動が活発化、運が良ければ1時間に100個近い流星を見ることが出来るという。

2013年天体ショーのトリは、11月に太陽の近くを通る「アイソン彗星」だ。「アイソン彗星」は、過去50年に出現した彗星の中でも最大級の明るさになる可能性がある。夜空に長い尾を引いて輝く彗星は、いくぶん不気味でファンタスティックであり、天文ファンならずとも,ぜひ見てみたい。

私が彗星と聞いて思い出すのは、1986年に76年ぶりに姿を見せた「ハレー彗星」だ。古来より人類に馴染みの深いこの彗星の接近には、世界中の人々が注目した。日本でもハレー・フィーバーとも言える騒ぎが起きたと記憶する。

この年の接近で「ハレー彗星」が最も良く見える地域と予測されたのは、南半球オーストラリアだった。なかでも専門家のお薦めスポットは、都市の明かりが届かない内陸の町クーナバラブランで、一番良く見える時期とされた4月、この小さな町に日本の彗星ファンが大挙して押し寄せた。

当時、オーストラリアの特派員だった私も取材がてら、シドニーから200キロも離れたクーナバラブランに、車を飛ばして見に行った。だが、肝心の「ハレー彗星」は、深夜になっても、ボーッと霞んで見えるだけ。1910年に現れた時のように幻想的な姿にはならず、日本から来た多くの天文ファンは、がっかりして帰っていった。

しかし、偶然だが私には長く太い尾を引く鮮明な「ハレー彗星」を肉眼で見る幸運があった。1か月後の5月にクーナバラブランを再訪、今度は町にある天文台の大型天体望遠鏡から「ハレー彗星」に再チャレンジした。しかし、天体望遠鏡でも「ハレー彗星」は、ぼんやりとしか見えない。空が白んできた頃、諦めて天文台を出た。人影が消えた無人の坂道を1人で歩いているとき、ふと見上げた前方の夜明けの空に、長い尾を引く大きな「ハレー彗星」がくっきりと浮かんでいたのだ。私の後から天文台から出てきたオーストラリアの天文学者たちも、予想外の「ハレー彗星」の出現にびっくりしたらしい。朝もやの中で大きな歓声が挙がっていた。

彗星ではないが、1984年にテレビの番組取材で行ったモザンビーク奥地の村で見た無数の星も忘れられない。取材で出向いた村にホテルがなかったため野営、寝袋にもぐって見上げた夜空には満天の星が輝き、黄金色の天の川が流れていた。あまりの星数の多さに、降ってくるのではないかと本気で心配したほどだ。

当時、モザンビークは内戦中で奥地では食料が枯渇、大量の餓死者が出ていた。取材のわれわれも日本から持参したカップヌードルをすすって腹を満たしていたのだが、アフリカ第4の大河、ザンベジ川中流の村を訪れた時、村人が干物にした大きな川魚を焼いてご馳走してくれた。自らの空腹を我慢して見知らぬわれわれに貴重な食料を分けてくれた村人の暖かい思いやりが、美しい星空とともに今も心に迫ってくる。

内戦が終焉したモザンビークは、現在、順調に復興・開発が進んでいると聞く。ブラジルと協力して行っているモザンビーク版セラード「熱帯サバンナ農業開発協力事業」などJICAの開発協力も着実に進んでいるらしい。

干物を分けてくれたあの人たちは今、どうしているだろう。蒸し暑さも、ヤブ蚊の襲来も忘れて、心はいつしか自宅の庭からモザンビークに飛んでいた。

これまで取材などで、世界中の夜空を見る機会があった。星空を見ていると、心は自由に世界を駆け巡る。明日はどこの国の星空に思いを遣ろうか。残暑が消えるまで、この安直で楽しい避暑法を続けるつもりだ。