「貧者に寄り添う」法王の信念は援助の世界も同じ

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.310 10 Sep 2013
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

自慢になる話でもないが、これまでの私の人生は宗教とほとんど縁のないものだった。

結婚式は神式でやった記憶があるし、両親の葬儀は仏式だったから、身辺に全く宗教的風土がなかったわけではない。観光地に行って近くに神社仏閣があれば、必ずお参りして僅かな賽銭で、自分に都合の良いお願をしてくることも忘れない。海外でも多くのキリスト教の教会にお邪魔して、祭壇に跪きいろいろなお願いをした。許されればモスクに入って座礼したこともある。そればかりではない。加齢とともに仏教行事に合わせて、自宅に置いてある先祖の仏壇にお線香をあげる回数も増えてきた。

約言すれば私は神や仏を全く信じないわけではない。だが、人生の岐路に立った時の判断を、宗教の教えに依ったことがないことも確かだ。となると、無神論者ということになるのだろうか。周辺にいる多くの友人、知人も宗教に対して私と同じようなスタンスにある。だから、自分が特に罰当たりな人間ではないと、勝手に赦している。

そんな私が宗教についてあれこれ語る資格がないことは承知しているが、最近の宗教界にちょっと興味を感じている事がある。それは2013年3月にカトリックの新法王になられたフランシスコ法王の言動だ。ご存じのとおりアルゼンチン出身の法王は、731年のグレゴリオ3世(シリア出身)以来、初めての非欧州出身の法王で、また、戦闘的カトリックといわれるイエズス会からの初の法王などユニークな経歴を持つ。

バチカン勤務の経験がないブエノスアイレスの枢機卿が、法王に選出された背景には、欧州でカトリック信者が減少、信者の4割以上が中南米にいるという現実がある。また、ブラジルで過去10年、プロテスタントが急増、カトリックが劣勢に立たされていることも、南米から法王が選出された背景とされる。

華やかになり過ぎたカトリック教をキリストの原点に戻そうと、清貧運動を実践した13世紀の聖人の名を戴いた法王は、就任以来、「貧者に寄り添う」という信念を貫かれているという。豪華な法王宮殿に住まずアパート暮らし、普通の乗用車に乗り、安物の靴を履いて執務に励んでおられるようだ。

数年前、私はローマの日本大使館員に法王庁内部を案内してもらったことがある。中世を思わせる静まり返った巨大な建造物には、10数世紀にわたるカトリック総本部の歴史が染込み、異様な威圧感が漂っていた。

個人的な印象ではあるが、多くの宗教の中でもカトリックには、一段と近寄りがたい厳かな雰囲気がある。華麗な装飾に飾られた巨大な教会、豪華な祭服を着た司祭たちの重々しい振る舞いなどがその根拠だが、数世紀に渡って世界を支配した欧州の宗教であることも、畏敬の念を増幅する一因だろう。

明治維新後、布教が許されたキリスト教だが、日本人信者はそれほど増えなかった。第二次大戦後も期待されたほど社会に浸透していない。その理由として、日本には伝統宗教がしっかり根付いていたことが挙げられる。だが、もっと大きな理由は、キリスト教が最初に上流階級に受け入れられ、日本ではエリート層の宗教というイメージが出来上がってしまったことではないか。

私などは今でもミッション・スクールと聞くと、即座に「お金持ちの子どもたちの学校」というイメージが浮かぶ。近所のキリスト教会で行われている各種の儀式を垣間見ても、ハイソな方々が列席する上品な行事という偏見から抜け出せない。

宗教の最大の使命は弱い人の心の支えになることだ。人が生きる縁(よすが)を神に求め、教えを乞う姿を体系化したものが宗教ではないか。現世に数多の苦しみを抱える弱者ほど神にすがる気持ちは強い。各種の宗教の起源から考えても、宗教は社会の下層にいる人たちと共にあるべきもので、庶民から乖離するとその力は弱体化する。

フランシスコ法王が「貧者に寄り添う」と述べられるのは、体制的になった嫌いがあるカトリック教を、宗教の原点に戻そうという意思の表れだ。人類誕生以来、いろいろな宗教が人々の心を救ってきた。今後も人は宗教と深い交わりの中で暮らしていくだろう。カトリック教が新法王のもと、さらに多くの弱者の心を救うことを期待したい。

過去、宗教は途上国の開発問題にも大きな役割を担ってきた。「OXFAM」や「ワールド・ビジョン」のように宗教関係者によって設立され、途上国の開発に多大の貢献をしてきた国際NGOは、枚挙に暇がない。日本でも同様だ。記録に残る日本最古のNGO活動とされるのは、1930年代末、キリスト教徒の医学生たちが、日中戦争の被災者救済のために中国で行った医療活動だ。戦後に結成され、今も活発に活動を続ける「アジア学院」や「シャンティ国際ボランティア会(SVA)」なども、キリスト教や仏教系の団体を母体として発展してきたNGOだ。

宗教は今後も途上国の開発に欠かせないプレイヤーであり続けるだろう。日本の政府開発援助(ODA)は、あらゆる宗教と一線を画して実施されるが、途上国の民生向上という最終ゴールでは、宗教と互助の関係にもある。「貧者に寄り添う」というバチカン法王の心は、援助の世界においても忘れてはならない心であり、国際協力の原点もそこにある。現場における活動が原点から逸脱していないか、関係者一人一人がつねにチェックすることも重要だ。

私が洗礼を受ける可能性はゼロに等しい。だが、開発を主題にして執筆するジャーナリストとして、法王の教えを頭の隅に置いておくつもりだ。