国のリスクの数値化を急げ

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.312 22 Oct 2013
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

今年4月、インドネシアのスラバヤで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の貿易相会議で、日本が参加各国経済の強靭性を数値化する提案をしたことを覚えておられる方もいるだろう。

日本の新聞などでは、「強靭性の数値化」よりも、「リスクの数値化」という表現をしたところが多かったように思う。確かに「強靭性」よりも「リスク」と言ったほうがいくらか分かりやすいが、それでもまだ何のことか分からない人も多いはずだ。

「国家経済の強靭性の数値化」を簡単に言えば、ある国の経済の国際性、経済諸制度、生産の持続性などを数値化することだ。具体的には政治の安定度、民主化の度合いを基礎に、外資の設立要件、国債の市場評価、国内の産業構造、企業倫理、労働資源の質、人材育成制度、さらにエネルギー、通信、交通など経済インフラの整備度、自然災害の発生頻度とそれに対応する防災体制などなどが強靭性を量る尺度となる。

日本が強靭性の数値化を提案した最大の狙いは、域内各国のビジネス環境を平準な数値にして指標化、海外進出を計画する民間企業に提供することにあった。

政治が不安定だと経済は安定せず、投資環境も脆弱になることは自明のことだ。また、政策決定プロセスに透明性を欠く非民主的な国家では、国家の経済政策がいつ変わるか予測もできず、予告なしの外資系企業の国有化、不当な輸入規制の導入など朝令暮改の政策に振り回される危険性が高い。法の支配が弱い国では汚職、不正運用などの不透明な資金の流れも心配される。

私はこの提案を聞いた時、日本が主導してこのような指標を作成することは、素晴らしいことだと諸手を挙げて賛同した。アベノミクスの経済成長戦略の柱の一つとして、高い技術を持つ日本の中小企業の海外進出が推奨されている。これに応えて海外進出を考えている企業も多いが、ほとんどの中小規模の企業は、独自に海外情報に直接アクセスする能力、手段を持っていない。ビジネス拡大のチャンスだと分かっていても、現地事情を十分に把握できないため、リスク回避を優先して進出を諦める企業も多いと聞く。

それぞれの国のリスクが公平に数値化されれば、海外進出を考えている中小企業にとって、客観的な判断材料が常時提供されることになり、意思決定が容易になる。また、APEC加盟各国の投資環境が一目で分かるため、透明度が格段に上昇、域内経済の円滑化だけでなく、欧州など域外からの投資が増加するメリットも考えられる。

と、ここまで書くとこの提案は良い事ずくめのように見える。だが、国際社会はそう簡単に話が進まないのがつねだ。貿易相会議の後、指標化の作業はAPECのシンクタンク「APEC Policy Support Unit(PSU)」(本部・シンガポール)に委託された。しかし、その後の作業はあまり進んでいない。当初予定していた2013年のAPEC首脳会議(10月7日から8日までインドネシア・バリ島)への提出は、間に合わなかった。日本の外務省の担当者も「今年中に完成する可能性は、低いのでは」と予測している。

「国の強靭性」を数値化する日本の提案は名案ではあるが、APEC/PSUが数カ月で完成するという筋書きには、最初から無理があったように思う。まず、PSUの能力の問題だ。PSUは2007年に設立され、翌年から運営が始まっているが、まだ小さな組織で、設立時にAPECから期限付きで提出が求められている多数の課題をこなすのに四苦八苦している状況だ。急に「国の強靭性」を数値化せよと言われても、現有勢力ではとても対応できないのが実情だ。

もっと大きな問題は、APEC加盟各国が自国のリスクを客観的に評価出来るかということだ。PSUにはAPECメンバー国以外の国のスタッフもいるが、ほとんどはメンバー国からの研究者であり、スタッフの上に立って組織運営をするのはAPEC加盟各国政府だ。他国との比較の中であえて自国に不利な指標を容認すれば海外からの投資が減り、国益に反することにもなる。特に民主化の遅れなどを理由に低い数値を付けられた国が、その数値を素直に認めるか、大いに疑問が残る。なんとか折り合いをつけて完成したとしても、妥協から生まれた数値の信頼度には疑問符が付くことは間違いない。

だが、作成を諦めるわけにはいかない。特に加盟国の政治、経済、民主化などの成熟度に格差が大きいAPECには、こうした普遍的な指標が絶対に必要だからだ。

そこで、私はPSUとは別に日本の民間のシンクタンクが、独自にAPEC加盟国のリスクを数値化、指標を作成することを薦めたい。日本のシンクタンクが作るものであるから、日本の視点から発想されるものになる可能性は高いが、加盟国の意見を最大限採り入れ、最終的には米、加、豪、シンガポールなど域内先進国間で数値を調整すれば、信頼に足る指標が出来るだろう。自国の評価に不満を持つ国も、公正な作業から生まれた指標なら、嫌でも認めざるを得ない時が来る。

付け加えれば、日本が主導して指標づくりをすることで、日本の経済基準がAPEC域内に浸透、日本企業の海外進出を有利にするという波及効果が生まれる期待もある。

民間が作成するといっても、外務省や経済産業省、JICAなどが持つこれまでの経験と情報は、数値化の根幹をなす材料となる。もしもそのような作業を始めるシンクタンクが現れたら、JICAにも惜しみなく手持ちの資料、情報を提供して頂きたいと思う。