「世界トイレの日」を機に、トイレについて真剣に考えよう

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.314 7 Nov 2013
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

10月20日が「頭髪の日」であることを、今年になってはじめて知った。10を「とう(頭)」と読み、「はつ(髪)」は20日(はつか)から引いたようだ。「頭髪の日」は30年以上も前に、全国理容環境衛生同業組合連合会によって制定されたというが、自分の頭髪が淋しくなった今頃、こんな日があることを知っても、ただ虚しい。

ところで、今年、ちょっとユニークな記念日が国連総会で可決されたことをご存じだろうか。7月24日に開催された国連総会で、毎年11月19日を「世界トイレの日」(World Toilet Day)に制定する決議案が採択されたのだ。シリアへの対応など、最近、足並みが乱れる国連だが、「世界トイレの日」決議案は、反対意見もなく全会一致ですんなり可決されたという。

なぜ、11月19日が「世界トイレの日」になったのか。これは「頭髪の日」のような語呂合わせではない。世界のトイレ事情を調査・研究する一方、途上国のトイレの普及活動に力を注いでいるシンガポールのジャック・シム氏が、2001年のこの日に、「World Toilet Organization(WTO)」を設立したことに起因する。

シム氏はシンガポールでビジネスに成功したあと、40歳で社会活動家に転じ、1998年に「Restroom Association of Singapore(RAS)」を設立、それまで公で論じられることが少なかったトイレの問題を、人類が健康に生きるための基本問題と位置づけて活動を開始した。RASをWTOに改組後、シム氏の活動は一層拡大、今やWTOは国連開発計画、ユネスコなどの国連機関を含む130以上の国際公衆衛生改善団体の中核をなす団体となっている。

シム氏への評価も高く、アジア開発銀行(ADB)の「水のチャンピオン賞」(2006年)、タイムマガジン社の「アジアの顔」(2011年)など数多くの国際賞を受賞している。今回、国連がWTOの設立日を「世界トイレの日」にしたのも、これまでの同氏の業績を顕彰する目的があったからだという。

トイレの話は、話題にする"時"と"場所"の選定が難しい。食事時に持ち出すのは、つねに憚られる。日常の会話でも、よほど親しい間柄でないとトイレの話は出てこない。外交でも主題になりにくい題目とされてきた。だが、人道的見地から見ると、トイレは重要な国際問題であり、国連がもっと早く取り上げても良かったテーマだ。

トイレ環境は特に途上国で深刻だ。援助関係者ならほとんどの人が、途上国の劣悪なトイレに遭遇した経験があるだろう。自慢になる話でないことは百も承知だが、私は普通の日本人より多くの途上国のトイレを利用した経験がある。個人的体験の中で公衆トイレに一番悩まされた国は、中央アジアのキルギスだった。遊牧民族の生活習慣なのか、社会主義国家の負の遺産なのか、この国の人には公共トイレを綺麗に使おうという意識がないように見えた。有料のものでもほとんど掃除されておらず、清潔とは言い難い。辺境の草原地帯は論外だが、首都ビシケクの街中でも清潔な公衆トイレは滅多になく、仕事の途次にお腹に合わない食事などしたら、もう悲劇しか待っていない。

もちろん、世界を俯瞰すれば、キルギスの公共トイレだけが特に汚いわけではない。途上国の公共トイレはおしなべて汚い。「途上国と先進国の違いは何か」と問われた時、多くの人が民主化の度合い、生活の利便性の差などを挙げると思う。しかし、公共トイレの清潔度も先進国と途上国の違いを明快に示す指標の一つだ。今年8月、中国の深セン市が公衆トイレを汚した人に100元の罰金を科すことを決めて話題になった。行政主導であっても、汚い中国の公衆トイレが清潔になることは、外国人にとっても喜ばしい。

戦後の混乱期、日本の公共トイレもあまり清潔ではなかった。だが、経済復興とともに清潔度は増し、今では世界有数の美トイレ国だ。国際的な映画スター、ジャッキー・チェンさんが初めて来日したおり、たまたま寄った日本の公共トイレの清潔さに感動、帰国後、香港の自分のオフィスのトイレの清掃に力を入れるようになったという話は有名だ。今も途上国からの観光客にとって、流水音などが備わった日本のスーパー公共トイレの清さは、驚きの対象になっていると聞く。

トイレの問題は先進国ではほぼ解決しているが、途上国では公衆トイレどころか、家庭にトイレがないという深刻な問題が残る。世界保健機関(WHO)は、世界で約11億人が屋外で排泄、約26億人が清潔なトイレを利用できず、排泄物による地下水や土壌の汚染が主因で、毎日、世界で約2000人の子どもが下痢による脱水症で命を失っていると報告(2011年)している。また、同報告書はトイレが無いため、学校に行けない女の子が多数いることも指摘している。

日本のODAは長期に渡って途上国のトイレの改善・普及を支援してきた。私も10年ほど前、カンボジア・プノンペン郊外の村で、家庭トイレの普及のため、いくつかの家にモデル・トイレを作るJICAの農村開発プロジェクトを見たことがある。残念なことに当時、トイレを利用する習慣を持たない村人は、真新しいトイレを毎日ピカピカに磨いているだけで使用されていなかった。たが、最近はJICAをはじめ、WTOなど多くの国際組織の教育・宣伝活動によって途上国でも、日常的にトイレを使用する習慣が徐々に広まっているという。カンボジアのあの村でも、今は住民がトイレを利用、地下水の汚染も収まっていると信じたい。