東京五輪誘致の陰の立役者、ニューマン氏の習ったプレゼン術は?

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.319 27 Jan 2014
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

Presentationには「紹介」、「上演」、「贈り物」など各種の訳語があるが、プレゼンという言葉で使われる場合は、「口頭発表」という意味になることが多い。企業なら新たな企画や営業方針、学界なら研究成果、研究方法などを多数の人の前で発表して、自説への理解と賛同を得る手段となる。

発信力が重視される現代の国際社会を生き抜くためには、プレゼン能力の向上が欠かせないという認識は、近年、日本社会にも浸透している。しかし、「男は黙って…」「以心伝心」など古来の文化的風土が残る社会にあって、自分たちの優位性をことさら主張するプレゼンを苦手とする人も多い。高齢男性ほどその傾向が強いようだ。

そんな"黙って派"のおやじたちさえプレゼンの重要性を認めざるを得ない出来事が、昨年9月、ブエノスアイレスであった。言うまでもなく国際オリンピック委員会(IOC)総会で、日本の代表が素晴らしいプレゼンを行い、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催を手繰り寄せたことだ。

一般的に表情が豊かでボディ・アクションも大仰な欧米系の人にプレゼン上手が多いが、語学の問題も絡んで日本人を含むアジア系はあまり上手くないように思う。2004年から2007年まで国連大使を勤められていた大島賢三氏(前JICA副理事長)は「私も人のことは言えないのだが、国連などの会議で日本人のプレゼンは見劣りする。だいたいASEAN代表と同じレベルだ」と話していた。もちろん、大島大使自身の話は謙遜であるが、私は正真正銘、プレゼン上手でない。

そんな私だが、「ジャーナリストなのだから、プレゼンも上手いだろう」と、学生たちにプレゼンのやり方を教える講師のオファーが時々ある。身の程は知っているつもりだから断り続けているが、今後、私がプレゼンの講師をする機会がないとは言えない。その日のため今からでも私自身の能力を高め、若者たちのプレゼン能力向上の一助になりたいと思っていた。

どうやってプレゼン技術を学ぶか、と考えていた矢先、恰好の先生に接するチャンスが巡って来た。その先生とは何を隠そう先のIOC総会で日本の招致チームにプレゼンの秘伝を伝授したイギリスのプレゼン・トレーナー、マーティン・ニューマン氏だ。1月中旬、来日中のニューマン氏が「人の心を動かす"印象"演出術」というタイトルで話をするというので、ほかの約束をキャンセルして東京・内幸町の日本記者クラブに駆けつけた。

ニューマン氏の話は1時間20分ほどの短い時間だったので、半解の嫌いもあるが、同氏の話から私が理解したプレゼンの要諦は、「Word」より「Delivery」が決め手であるということだ。デリバリーとは話の構成、話術、声の質、抑揚などを指す。プレゼンターに欠かせないことは、相手の心に強い印象を残すことで、「Head」よりも「Heart」に訴えることが重要だという。手など体の動き、表情、声など自分が持っている身体の表現能力をフルに使い(これをパーソナル・ベストという)、相手にインパクトを与える努力が必要で、パーソナル・ベストを活用した時、プレゼンターは輝き始めるともいう。

もちろん、発するWord(内容)の吟味も必要で、派手なパフォーマンスをしても、無意味な言葉を羅列していたのでは、ただの踊りになると警告していた。練りに練った文をパーソナル・ベストで話すことが、プレゼン成功の極意ということらしい。

もう一つ、同氏は「プレゼンではStandがキーワードだ。Stand Up、Stand Outの精神を持ち、打たれることを恐れず、Stand Outして自分から出る釘になれ」と言っていた。他人の目を気にして横並びを好む日本人には、かなり難しい注文だが、国際社会で生き抜くためには、多少の痛みを伴っても、出る釘になることが肝要ということだろう。この日のニューマン氏の話を聞いて、自分にもいくらかプレゼン能力が身に付いた気になった。

目を政府開発援助(ODA)に移してみると、こちらの世界でもプレゼンの重要性は変わらない。むしろ比重は高いといえる。プロジェクトを実施するに当たって、何のために、どうやって遂行するのか、それによってどのようなアウト・プットがあるのかなどを相手に確実に伝えることは必須の作業だ。こちらの意図が十分に伝わらないままスタートしたプロジェクトは、途中で破綻する恐れもある。カウンター・パートの意欲を高める素晴らしいプレゼンをすれば、同じゴールが形成され、良好な協力体制のもと高い成果を産むプロジェクトになること間違いない。

このように私はプレゼンの重要性についていささかの疑問も感じていないのだが、数日前から気になる言葉が頭から離れない。それはイギリスで活躍した哲学者ウィトゲンシュタイン(1889年−1951年)の「思想は言語で偽装される」という言葉だ。もちろん、この大哲学者がプレゼンについて語った言葉ではないが、誇張した言葉や、ボディ・アクションを駆使したプレゼンで相手に事実以上の強いインパクトを与えることは偽装にならないか、という素朴な思いだ。

つむじ曲がりであることは自覚している。だが、今後、私はどのようなプレゼンを模範にすれば良いのか。事実だけを淡々と述べる日本古来型か、ニューマン氏推薦の派手なパーソナル・ベスト型か、まだ結論は出ていない。