今年は米・キューバの国交正常化交渉に期待する

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.342 13 Jan 2015
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

年が明けると、誰もが「今年はどんな年になるだろうか」と考える。良い事、悪い事、いろいろ浮かんでくるが、私が今年、楽しみにしているのは、アメリカとキューバの国交正常化交渉の進展だ。

人によって受け止め方は、一様ではないだろうが、昨年の12月17日、オバマ大統領がキューバとの国交正常化交渉を進めると発表した時、私が受けた驚きは大きかった。両国の関係が凍結したままで、アメリカの経済制裁を受けるキューバ経済が停滞していることは十分承知していても、近年、私の頭の中でキューバという国の名は薄れてきており、不意を打たれた感じが強かったからかもしれない。

驚きが大きかったのは、私にとってキューバという国の存在がそれだけ大きかったからでもある。60年代に青春時代を過ごした人間にとって、キューバは最も印象深い国の一つだろう。キューバ革命を主導したカストロ、ゲバラ両氏の言動は、イデオロギーを超えて世界の若者の夢を掻き立てた。その一方で反米親ソの共産党独裁政権は、核戦争一歩手前のキューバ危機を招いた。目と鼻の先の超大国アメリカに盾突く小気味良さと、放縦な政権の危うさを、われわれは複雑な思いで見守っていたのだ。

私はいくつかのカリブ海の国を訪れたことはあるが、キューバに行ったことはない。おそらく今後もないだろう。そんな私だが、一度だけ現役のキューバ兵と短い言葉を交わしたことがある。それは、1983年9月にエチオピアに出張した時のことだ。私は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のジャーナリスト・セミナーに招かれ、世界の主要メディアのジャーナリストと約1か月間、アフリカ各地の難民を取材して歩いた。

日程の半ば、われわれはエチオピア東部ソマリ州のジジガにいた。ソマリ州は1978年にソマリ族の「オガデン民族解放戦線(ONLF)」が、エチオピアからの分離独立を求めてオガデン戦争を引き起こした地域で、私が訪れた頃もエチオピア軍が国境を越えて隣国ソマリアに侵攻するなど地域情勢は不安定だった。当時はアメリカがソマリアを、旧ソ連がエチオピアを支援しており、旧ソ連はソマリ族の反政府武装勢力を抑えるため、キューバ兵約15000人を同州に派遣していた。

われわれ一行は、ジブチからの帰還難民に会うためジジガから陸路アジガラという村落に向かったのだが、しばらく走ると上流に降った大雨のために増水した川に道を塞がれた。岸に繋がれていたロバがあっという間に流されるほどの懸河だ。仕方がないので、車を降りてあたりをうろついていると、丘の上に大きなキューバの国旗が立つテントが目に入った。近寄ると「革命を祝おう」などと書かれた赤青の横断幕が張られ、機関銃を手にしたキューバ兵がこちらを睨んでいる。

一緒にいた英米の記者が鉄条網越しに兵士に話しかけるが、完全に無視して顔も動かさない。そこで私は「あの川はいつも氾濫するのか」と無難な質問をした。私をチラッと見た兵士の顔がいくらか軟らかくなった。道中、私はいつも地元の悪餓鬼たちから「チノ」「チノ」とからかわれていたから、兵士も同じ社会主義国家中国の記者と思ったのかもしれない。「ああ、いつもだ。だが、すぐに水は引く」と言ってニヤッと笑った。明るいカリブ海の笑顔だった。

ささやか過ぎて体験とも言えない話だが、以後、私はキューバというとカストロ、ゲバラ両氏の顔と並んで、この兵士の彼の顔が浮かぶ。彼はどんな思いで今回のアメリカとの国交正常化交渉開始のニュースを聞いたのだろうか。

「もはやアメリカの戦略的脅威でないキューバと国交正常化しても、外交的価値はない」、「残りの任期が短くなったオバマ大統領の単なる遺産づくり」、「国交正常化しても共産党独裁政権に変化は期待できず、キューバの民主化は進まない」といった悲観的な意見もある。だが、国交正常化は、良いことも多いはずだ。

国際政治の観点から見れば、最近、カリブ海、中南米に進出する気配を見せる中国への抑止力向上が考えられる。2011年9月、海軍の大型病院船をキューバなどカリブ海に派遣してアメリカに不快感を与えた中国が、今後、キューバを足掛かりにこの地域への影響力拡大を図れば、世界の不安定要因は増大する。米・キューバ関係の改善は、世界平和にも貢献するだろう。

楽観的かもしれないが、国交が正常化すれば海外からの投資も増え、キューバ経済は好転すると思う。半世紀に及ぶ反米教育でアメリカに敵意を持つ国民もいるが、アメリカとの交流を望む国民も多い。生活に余裕が生じれば一党独裁体制に疑問を持つ人も増え、民主化への道も拓かれるはずだ。

日本とは1929年に外交関係を樹立して以来、冷戦時代を通じて国交が維持されているが、政治、経済に関係する大きな交流はなかった。今後は民主化、人権擁護の動向などに配慮しながら、食糧、環境などの分野でいっそうのODAの拡大も検討されるだろう。キューバが持つ高い医療技術を活用した南南協力も視野に入る。

テレビに映し出される1950年代の大型アメリカ車が走る首都ハバナの風景は、古いハリウッド映画を見るようで好きだ。あれが新車に変わってしまうのは、ちょっと惜しい気もするが、キューバの人たちがポンコツ車を卒業して快適なドライブをする時代が来ることを期待したい。今は禁煙しているが、アメリカとの国交が正常化したら、奮発して素晴らしい香りのキューバ葉巻でも燻らせよう。