「戦後70年談話」に60余年のODAの成果を忘れず

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.349 23 Apr 2015
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

今夏に発表が予定されている安倍首相の「戦後70年談話」については、国内ばかりか海外の関心も日増しに高まっている。作成中の談話の内容について、各方面からあれこれ注文が喧しいようだ。

小欄は論争を招く恐れがある政治色の強い問題には触れないが、一つだけ言わせて頂きたいことがある。それは、戦後の日本が誠意を持って推進してきた政府開発援助(ODA)についてだ。予想される首相の70年談話で、日本が戦後一貫して追求してきた平和への貢献が強調されることは間違いないが、その主力となってきた施策の一つがODAであることを、改めて国民と国際社会に訴えて貰いたい。

周知のことだが、日本ODA元年はコロンボ・プランに加盟して技術協力を開始した1954年だ。戦災で東京、広島、長崎などの都市が焦土と化してから、まだ9年しかたっていない。技術協力に続いて1958年には、インドに初の円借款(有償資金協力)も開始している。

ODAを始めた頃の日本は、復興が急速に進んではいたものの、まだ国民の生活は貧しかった。日本全国で登録されたバイクの台数が、1954年に初めて100万台(乗用車数は13万台)を突破したことが、明るいニュースとして新聞に取り上げられた時代だ。ちなみに当時のサラリーマンの平均初任給は9600円、これに対し電気冷蔵庫が約7万円、扇風機が約5000円、電気釜が約3000円で、庶民の憧れの電気製品は、はるか遠い存在でもあった。(「現代用語の基礎知識」2003・別冊より)

世界銀行から巨額の融資を受けながら、やっと新しい国家づくりの緒についたばかりの国が、なぜ経済援助を始めたのか。戦後賠償の延長、日本の経済・貿易線のアジアへの拡大という事情もあったが、戦争によって多大な迷惑をかけたアジアの国々への贖罪の意識が強かったことも確かだ。ODAの開始は、先の大戦の反省を具体化した政策だったとも言える。

その後の日本のODAは、経済力の向上と共に急増して1989年には、アメリカを抜いて世界最大の援助国に駆け上がる。資源外交、黒字還流など諸々の国内事情があったとはいえ、政府が日本の国際貢献策の軸を経済協力と定めて努力した成果でもあった。1991年から2000年までの10年間は、欧米の主要援助国が「援助疲れ」を起こしてODA予算を減額する中、トップ・ドナーとして孤軍奮闘した。1994年にはOECD/DAC(開発援助委員会)に加盟する22・国(当時)とEUの総計実績額の1割以上を、日本1か国で賄ったほどだ。1993年10月には、冷戦の終焉によって戦略的関心が薄れ、振り返る国も少なかったアフリカ諸国の開発を話し合う「アフリカ開発会議(TICAD)」を創設、21世紀のアフリカの安定と成長に繋がる大役を担っている。

日本のODAの基本は人づくりにあり、地味な援助ながら長いスパンで見ると、東南アジア諸国連合(ASEAN)を初めとする多くの途上国の経済成長の基礎を築いたという自負もある。

戦後談話で平和国家日本の歩みを語る時、警察予備隊として1950年に組織されて以来、他国の民に一発の銃弾も放たなかった自衛隊の在り方と共に、60年余に渡って積み重ねてきたODAの成果を世界に示すことが、最も説得力のある事由になるはずだ。

4月2日、戦後70年談話の内容について協議する「21世紀構想懇談会(座長・西室泰三日本郵政社長)」の第3回会合が開かれ、外交評論家岡本行夫氏とJICAの田中明彦理事長が有識者として意見を述べた。田中理事長は、個人の見解と前置きしてコロンボ・プランへの加盟、インド円借款の開始、円借款のアンタイド化、世界1位の援助実績、対中援助の開始などに触れ、さらに「(日本のODAは)量だけでなく、振り返ってみて、質的にも大きな効果をあげたプロジェクトをいくつも行った。ブラジルを世界的な大豆生産国に変化させたセラード開発、タイの工業化に一大転機を与えた東部臨海開発、人と人が技術協力で国づくりに貢献するやり方の確立など日本型の援助というプロジェクトも育ってきた(抄本)」などと語っている。

また、「日本は世界中の課題への取り組みに貢献しうる豊富な経験と知識を持っているのではないかと思う。そのなかで、ODA予算が1997年をピークにほぼ半減していることは皮肉な感じがする(同)」とも述べた。私も同感だ。

第3回会合の5日後に、DAC加盟28か国とEUの2014年ODA実績(暫定値)が発表され、日本の実績額が91億8829万ドルで、前年実績より20・7%も減少したことが明らかになった。加盟国内の順位も5位となり、前年よりワンランク下がっている。日本のODAが減額した理由には、円安でドルベースでの金額が目減りしたこともあるが、円ベースでも9726億円で、前年よりも14%減少しているから、ODAの縮小は言い訳のしようがない事実だ。

戦後70年談話の中に、60年余の日本のODAの素晴らしい実績を入れるべきだが、このDACのデータを見ると、いささか気合が抜けることも否めない。緊縮財政の中でODA予算の増加が難しい事は十分に承知しているが、予算をピーク時より半分以上も減らし、未だに増額に転じる気配がない状況は、歯がゆいばかりだ。

今後、予算を急増しろとは言わないが、世界第3の経済国家に相応しい規模のODAに戻す努力を怠ってはならない。4月9日に外務省から発表された2015年版「外交青書」でも、「日本は平和国家として今後も歩みを続けて行く」と明記している。ならば、ODAの規模の再拡大は必須のことだろう。