ミャンマーに行って水島上等兵になった

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.358 11 Sep 2015
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

7月下旬、ミャンマーを訪れて、いくつかの日本の経済協力プロジェクトを見て歩いた。

最初に結論を言えば、視察したプロジェクトはどれも持続性が高く、かつインパクト、妥当性も十分で、日本の対ミャンマー(緬)ODAは順調に進行しているという印象だ。

今回視察したのは、ヤンゴン市中心部から南東約23キロのティラワに、工業団地、商業施設などを建設する「ティラワ経済特区(SEZ)開発」、ミャンマーの貿易物流の基礎インフラとなる輸出入申告の処理・納税等の自動化などを指導する「税関近代化計画」、急増する海外からの投資、年末のASEAN経済共同体(AEC)発足などで急務になっているビジネス人材を育成する「ミャンマー日本人材開発センター(MJC)」などだった。

「ティラワSEZ開発」は、湿地帯だったヤンゴン河岸約2400haの土地を開発する大型事業だ。2400haを開発するといっても、どれぐらい広大な事業か想像がつかないと思うが、山手線の駅が3つもある品川区よりも広い土地の総合開発といえば、いくらかイメージできるのではないか。ミャンマー政府、現地企業にJICA、さらに日本の大商社、メガバンクが出資する「日緬ティラワ開発(MJTD)」が事業を運営、これに日本政府がODAを活用して周辺のインフラ、法整備などを行う官民連携プロジェクトでもある。90年代のタイの経済成長を支えた「東部臨海地帯開発」、80年代にブラジル中西部の半乾燥地帯セラードの開発を手掛けた「セラード農業開発」にも匹敵する事業であり、日本が久々に挑戦する巨大プロジェクトでもある。

一方、「ミャンマー通関電子化計画(MACCS)」は、1978年から日本の貿易を支えてきた通関システムNACCSを、MACCSというミャンマー仕様に作り替え、ミャンマーの通関業務を一新する事業だ。MACCSによって、今はほとんど手書きで業務が行われている通関関連事業の機能は革命的に向上する。通関システムを日本式にすることで、息の長い協力関係が構築されるだろう。NACCSを基本とした輸出入管理システムは、ベトナムでもVNACCSとして実施されているが、NACCSをAEC内全域に拡大、標準化すれば、AECの強靭化にも繋がると期待する。

実は今回渡緬するまで、気になって仕方がないことがあった。それは2011年3月まで続いた軍政時代、日欧米などが経済制裁を課す中で、軍政に寛容な態度を取り続けた中国が、ミャンマーにどれだけ強い影響力を残しているのかという事だ。過去、いくつかのアフリカの国を訪れた際、嫌になるほど見せられた中国援助の派手な公共建造物が、ヤンゴン市内にも溢れているのではないかという怖れもあった。

だが、今回、少なくとも私が見た限りでは、中国の過剰な存在感は感じられなかった。もちろん、中緬の絆の強さは無視できない。捜して歩けば数多の中国プロジェクトを見ることになるのだろう。しかし、中国と共同で行う予定だったカチン州のミッソンダム建設をテイン・セイン大統領が中断を発表(2011年9月)したように、ミャンマーが中国と距離を置く配慮をしていることが、中国の輪郭が薄い理由だと思いたい。

これに比べ、日本には出遅れ感を持っていたが、日本のODAは予想以上に善戦していた。前述のような国造りの基礎となる息の長い基幹プロジェクトを急速に展開しており、日緬協力の足場をしっかり築きつつある。民政移管後、堰を切ったように対ミャンマー援助に取り組んだJICAの努力と、戦後一貫して築いた日緬の交流資産がうまく協調して遅れを取り戻し、追いつく原動力になっていると評価したい。

予想通りだったのは、ミャンマー人の勤勉さと誠実さだった。日本主導で建設されたベトナム・ダナンからミャンマー・モーラミャインを結ぶ国際道路、東西経済回廊の整備を支援する「カレン州道路建設機材整備計画」を見るため、建設省カレン州支所職員のお世話になったが、準備、時間管理などすべてが完璧で、日本の公務員と仕事をしているようだった。視察があまりに順調に進むので、予定していた時間がいつも余って困ったほどだ。

日本人は、ミャンマーというと竹山道雄の原作を市川昆監督が2度(1956年、1985年)、映画化した名作「ビルマの竪琴」を思い出す人が多い。私も1956年作品にあった日本兵の遺体を黙々と埋葬する善意のミャンマー人の姿が、今も目に焼き付いている。今回の訪緬で出会ったミャンマーの人たちと、あの映画のシーンがダブって見えて仕方がなかった。人々が規律正しいのは厳しく管理された軍政時代の影響だという見方もある。だが、律儀で生真面目な性格は民族の特性であるような気もする。

私を含めて、一度、ミャンマーと関わりを持った日本人は、"水島上等兵"(ビルマの竪琴の主役から転じて親緬家)になる人が多いと聞く。それは日本人とミャンマー人の性格に共通点が多く、互いに魅かれるものがあるからだろう。30年ほど前、日本とタイの関係も、現在の日緬関係のように互いの心が魅かれる関係だったように記憶する。しかし、近年の日・タイ関係はかつてのように一意の仲ではない。タイ政局の変化もあるが、あの頃、われわれがもっと丁寧にタイの人たちと付き合っていれば、タイは今もASEAN最大の日本の友好国であったのではないかと思うことがある。

ミャンマーとは、今後の政局に関係なく、30年たっても変わらぬ盤石の友好関係を作りたい。そのために、われわれは互いを尊敬し、忖度を忘れない関係を作り上げることが重要だ。