国連は首脳顔合わせの貸席だけに終わるな

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.360 20 Oct 2015
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

国連の機能が問われるようになって久しい。

国連不信が高まる最大の原因は、安全保障理事会における一部常任理事国の拒否権の乱用だ。これに加えて勧告しても法的拘束力を持たない総会決議、事務総長の能力不足、国連総会元議長など関係者の不祥事、極度に官僚化した事務局が生む迂遠な事務処理、さらに第二次大戦終焉後の価値観をそのまま残し、大きく変貌した現代の国際社会にそぐわない組織形態など種々ある。最近の国境を越えるイスラム原理主義武装集団の跋扈に対し、効果的な対策を取れないことも、存在感を低下させている一因だろう。

「1945年の創設時以来、国連が世界平和構築に貢献する働きをしたことは、ほとんどない。そもそも国連に大きな期待を寄せることが間違いなのだ」と、端から国連の存在に否定的な人もいる。確かに強制力という視点から見ると、国連平和維持活動(PKO)の編成や、緩い経済制裁が実施されることはあっても、安保理統制下で編成が認められている国連軍が組織されたことは一度もないし、90年代に検討された地域紛争に対応する重装備の「平和執行部隊構想」も頓挫している。

些か頼りなさが目立つ国連だが、日本は、長年、「国連中心主義」を外交の脊柱としてきた。国連重視の外交政策は、1957年に当時の外務大臣、岸元首相が国連で「我が国は国連を中心にして世界の平和と繁栄に貢献することを外交の基本政策とする」と述べたことに始まる。こうした背景もあって、30年以上も前からアメリカに次ぐ多額の通常予算分担金(2012年—2014年は2億7650万ドル)を、黙々と払い続けているのだ。それだけに、日本人の中には昨今の国連機能の停滞に、一層のもどかしさを感じている人も多い。

国連改革論が噴出する中で、万人が認める有効な国連機能が一つある。それは、ニューヨークの国連本部が、先進国、途上国を問わず加盟国首脳が自由な立場で一堂に会することが出来る唯一の場であるということだ。国連本部があるニューヨークは、言うまでもなくアメリカの都市だが、加盟各国の首脳はアメリカ公式訪問という形式を取らなくても、自由に国連本部に行って演説をし、各国首脳との個別会談を設営することが可能だ。つまり、国連は世界の首脳が「TETE-A-TETE」(差し向かいの話、内緒話)をする機会の提供という、地球上、ここにしかない重要な機能を持っている。

なかでも、数多くの世界の首脳が集まる毎年9月の総会は、国連の存在感が一段と高まる時期だ。ことし9月の国連総会でも、いつものように活発な首脳外交が展開された。例えば安倍首相の国連での首脳外交を追うと、実に多様で目まぐるしい。26日午前(現地時間)ジャマイカからニューヨーク入りすると、「アフリカ開発会議(TICAD)」開催国であるケニアのケニヤッタ大統領と会談、成立したばかりの日本の安保関連法について説明、賛同を得た後、午後には国連本部で田中JICA前理事長らを交えて西部アフリカ諸国経済共同体(RECs)議長のウワタラ・コートジボワール大統領らRECs議長国の代表と会談、日本のアフリカ開発支援の拡大などを表明した。

翌日27日午前にも国連本部でイランのロハニ大統領と会談、良好な両国関係の復活を約束し、続いてカタールのタミム首長と会談、経済関係の強化を確認している。このほかにも安保理改革を論議するため「G4(ドイツ、インド、ブラジル、日本)」首脳と会談、また「太平洋島嶼国首脳会議」首脳とも会合を持ち、国連改革問題などを論議した。会議の合間には顔を合わせたフランスのオランド大統領、韓国の朴大統領らと立ち話、29日には、国連総会で一般演説をして安保理改革、途上国の生活支援強化などを訴えたあと、バイデン米副大統領と会って、TPP問題や南シナ海の問題について意見を交換している。われわれには分からないが、水面下での首脳同士の接触もあったかもしれない。それが国連外交の醍醐味でもある。

安倍首相の国連での4日間は、まさに飛び回ったという印象だが、「TETE-A-TETE」外交は、後日、大きな成果を挙げることが期待出来る外交の必須だから、骨折り損という結果は絶対にないだろう。

この期間中、国連の内外を駆け回ったのは、安倍首相だけではない。地元のオバマ大統領も、メルケル首相も、オランド大統領も、そしてアメリカを公式訪問した中国の習近平国家主席も、活発に国連外交を展開した。ネットの時代とはいえ、直に顔を合せて話をすることで生まれる相互理解の醸成、論議の深化は、計量化できない重要な成果になる。そうなると、国連は存在する意義があるということになるのかもしれない。

だが、国連が首脳外交の場を提供するだけで良いのかとなると、首を傾げたくなる。日本の国連通常予算分担金を単純に人口で割ると、一人当たり年間130円以上負担していることになる。額だけを見ると少額かもしれないが、血税を国際サロンの運営に充てる必然はあるのか、と問われると、130円でももったいない。

国連は「貸席屋」などという蔑称が世界に固定してしまう前に、危機感を持って抜本的な改革に取り組まなくてはならない。日本などの各国の改革提案を真摯に受け止めて、創設の理念であった世界の恒久平和に資する人類の夢を繋ぐ組織に生まれ変わるべきだ。それを怠るとUNではなく、IAH(International Assembly Hall)と呼ばれようになってしまう危険すらあることを、自覚してほしい。