地球の冷却源・北極を温暖化の熱源にするな

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.362 12 Nov 2015
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

北極海を巡って関係各国の駆け引きが激しくなっている。

北極海の定義はいろいろあるようだが、広義には北極点を中心にユーラシア大陸、北アメリカ大陸、グリーンランドに囲まれた地中海と、大西洋に繋がるノルウェー海などを含む北極圏(北緯66度33分以北)の海洋を指すらしい。この場合、北極海の総面積は2700万平方キロ、日本海の約70倍にもなる大海だ。しかし、大部分が多年生の海氷と一冬氷に覆われた「氷の大地」であり、探検隊の目的地ではあっても、海という概念で捉えられることはなかった。

20世紀に入ってからも、原住民以外、人を寄せ付けない氷の海への世界の関心は薄く、戦前にカナダや旧ソ連が自国領から北極点に繋がる扇状海域の領土権(セクター理論)を主張したが、セクター理論は、今も国際法としては認められていない。

そんな北極海が近年、世界の注目を集めるようになったのは、この海に豊富な石油や天然ガスが埋蔵されていることが明らかになったからだ。どの国も喉から手が出るほど欲しい天然資源だが、領有権が定まらない海域だけに無法な乱開発が危惧され、1996年に米、露、加、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーなど北極圏に接する8か国が「北極評議会」を設立して、開発ルールの制定を目指している。

2009年、米地質調査所が、この海に世界の未確認埋蔵量の13%に当たる約900億バレルの石油が眠り、同30%に当たる1670兆立方フィートの天然ガスがあることを明らかにしたことで、資源争奪戦はさらに過熱した。温暖化によって氷が減少、海底資源を開発しやすい環境に変わったことも、争奪戦に油を注いている。

温暖化は、新たな国際摩擦も起こしている。氷の減少によって航行可能な海に生まれ変わったことで、支配権をめぐる争いだ。砕氷船以外の船舶の侵入を阻んでいた厚い氷が薄くなり、6月から11月の期間、砕氷船同行なら普通の船の航行も可能になった。北極海経由という新航路の誕生は、これまでスエズ運河を通るなど南周りしかなかった東西の通運地図を描きかえる大事だ。大げさに言えば、15世紀のディアスの喜望峰到達にも匹敵する地球の地理的大変化だろう。

大半はロシア船だったが、2011年には39隻(ロシア北極航路局資料)の一般船舶が北極海航路を通過した。この航路は日本にとって魅力あるもので、日欧の港湾をスエズ運河経由よりも10日短い30日で航行することが可能だ。運輸コストも大幅に下がる。2012年から2013年の間、4隻の日本船が北極航路を利用しており、砕氷船を新造して北極航路開設を検討している商船会社もあるという。中国も北極海航路に関心を寄せており、2013年に大連からオランダ・ロッテルダムに向かう商船を34日間で航行させている。

もっとも、温暖化したといっても北極の気象は依然厳しく、海の状況によって立ち往生することも多い。また、ロシアが航行する船舶に事故防止名目で自国の原子力砕氷船同行を義務付け、高額のエスコート料を徴収していることも北極航路の難点となっている。日米欧の海運会社は、原油下落で燃料コストが下がったことや、遅延リスク、ロシアの先導料徴取を嫌って、安定したスエズ航路に戻すケースが増えており、2014年に北極航路を利用した船舶数は23隻に減っている。ロシアの独自ルールを排除するため、現在、「国際海事機関」が国際ルールの作成を検討中だ。

北極海航路の主導権争いよりも深刻なのは、北極海を巡る安全保障問題だ。歴史的にこの海を勢力圏とみなすロシアは、昨年末、北極海域を管轄する「統合戦略本部」を新設、北方艦隊の一部や軍用機、防空ミサイル部隊を新本部の指揮下に入れて、軍事力を強化した。アメリカも北極海を「資源と航行を巡る新たな紛争の火種を内包する海」として国防戦略を強化してきた。2010年の「4年ごとの国防計画見直し(QDR)」は、北極海の米権益保護に積極姿勢を示し、2013年には「北極圏国家戦略」を発表、北極圏に接する他の北大西洋条約機構(NATO)加盟国と協調して、アメリカの権益保護を打ち出している。

日本も北極圏を巡る動きを傍観しているわけではない。2013年5月に北極評議会のオブザーバー資格を取得(同時に中国、インドなど6か国も取得、英仏独など6か国は2006年に取得)、直前の3月に北極担当大使を新設して、北極開発に積極的に参加する姿勢を見せている。今年10月16日には、政府の総合海洋政策本部(本部長・安倍首相)が初の北極開発基本政策を決定、北極海航路、天然資源開発などに関する国際ルール作りに主導的な役割を果たす方針を明らかにした。

北極評議会の意思決定は全会一致を原則としており、米露両国が共に賛同する規則作りは困難視される。さらに、日中に英仏独印などがオブザーバーとして一定の発言権を持つ現況では、南極条約のような国際条約が締結される蓋然性は低い。

桜美林大学片山博文教授の近著「北極をめぐる気候変動の政治」(文真堂)は、結論として「北極評議会は本来的な理念である温暖化によって失われつつある北極の氷の再生、地球の冷却源としての北極の再生に立ち返るべきだ」と、開発に偏る昨今の北極評議会の在り方を批判している。

片山教授の指摘に賛同したい。温暖化によって最大の被害を受けるのは、南太平洋島嶼国などの途上国であることは、周知のことだ。地球の冷却源である北極海を掘って化石燃料をむさぼり、地球をいっそう暖めることが人類の幸せに繋がるのか。日本は過熱する北極海開発競争に理性をもたらす国家として、存在感を示して貰いたい。北極海は南極大陸同様、人類共有の海として残すべきだろう。