途上国の災害記録を収録するODAは?

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.369 1 Mar 2016
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

歴史は過去の事象の記録だが、ほこりに埋もれているものではない。近代政治史、文化史などを読んでいると、往時の事象が現在のわれわれの生活に深い影響を及ぼしていることを、強く感じる。

数多の歴史の中に、過去の災害を記録した災害史と呼ばれるものもある。大災害は決して忘れてはならないものであり、私も災害史の重要性は十分に認識しているつもりだ。しかし、この齢になるまで大きな災害に遭遇したことがないせいか、災害史を読んでいても身近な教訓という切迫感がなかなか湧いてこない。困ったものだと思っている。

過日、そんな私の目を覚ます本に出会った。それは2014年に初版が出版された磯田道史氏の著書「天災から日本史を読みなおす—先人に学ぶ防災」(中公新書)だ。同書を読んで、過去の災害の記録が現代の防災、減災対策に欠かせない貴重な資料であることを、改めて思い知らされた。災害史の中には、今を生きるわれわれの命を守る知恵が豊富に隠されているのだ。

話が横道に逸れるが、今や気鋭の歴史学者としてテレビに、新聞に、雑誌に、引っ張りだこの磯田氏だが、同氏は数年前、私が奉職していた大学で同僚として働いていた仲だ。ベストセラーになった「武士の家計簿」(新潮新書)の著者としてすでに知られた存在だったが、まだ30をちょっと過ぎた若手の准教授だったので、忙しい研究、執筆の合間を縫って、あまり建設的とはいえない校務に励んでいた姿を思い出す。

たまに大学前のラーメン屋などで出会うと、熱弁をふるう磯田氏の歴史秘話はいつも面白く、歴爺(歴史好きの爺さん)の端くれでもある私は箸を動かすのを忘れ、ラーメンがのびてしまったほどだ。「岡山で育った子どもの頃から、家の蔵にあった古文書を読んでいたので、訓詁(くんこ)の早さには自信がある」いう磯田氏は、われわれにはミミズが這ったようにしか見えない古文書の字句を、新聞の活字を読むようにスイスイと読破してしまう。名所旧跡を訪ねて面白そうな古文書や石碑に接しても、何が書いてあるかさっぱり分からない私などは、「古文書を読む能力を身に付けておけば良かった…」といつも悔やんでいる。

災害史の話に戻す。本書の中にはいくつかの災害の記録が収録されており、現代の防災に役立つものも多い。磯田氏も、災害を記録した文書を読み解いて、実態を地元の人に知って貰い、次なる災害に備えることを目的に本書を著したと書いている。いろいろな史料や伝承を、探し当てた磯田氏の努力に敬意を表するが、これだけ精密な災害記録を残している昔の日本人の高い能力にも驚嘆する。

防災対策にも役立つ江戸時代の文書を本書の中から一つ引くと、静岡県清水区三保地区に残る「村中用事覚」がある。この文書には1707年に同地区を襲った宝永津波に関する記述があり、津波がどの辺りまで押し寄せたか、村民がどこに避難したか、津波はいつごろ引いたかなど詳しく書かれている。つい先ごろ、津波に襲われたような詳細な記録だ。

「村中用事覚」の記述から、宝永津波の遡上高を推測することが可能だ。先行研究したある歴史学者は、遡上高を3.9メートルと推計している。だが、磯田氏はさらに深読みして、文書の中の「津波が押し寄せた時、村中が波に飲み込まれて樹木の穂先だけが見えた」というくだりに着目、当時の被災地の標高と樹木の高さから逆算して、宝永津波の実際の波高は5メートル近くだったと推計している。遡上高5メートルという推計には、「イルカが松に引っかかった」という地元の伝承も参考にしている点が面白い。

東日本大震災の後、われわれは過去の自然災害の記録や伝承をあまり重視してこなかったことを猛省した。磯田氏だけでなく、東北大学災害科学国際研究所などがすでに災害資料の再検討を開始しているが、今後は、さらに大きな規模で、残された災害の記録を縦から横から読み直して、最悪の事態に備える必要があると痛感する。

読後、思いついたことがある。それは、途上国にも数多く残っているはずの古い災害の記録をくまなく発掘、分析して地域の防災、減災計画作成をサポートするプロジェクトが出来ないかということだ。文書や伝承だけでなく、考古学的見地から堆積物の調査にまで広げることで、途上国の防災対策は飛躍的に高まるだろう。

アジア、中近東、南太平洋・カリブ海の島嶼国などは、過去、しばしば大規模な自然災害に見舞われている。文書として残っていなくても、災害の規模や被災状況を推測できる口伝は、数多くあるはずだ。過去に起きた災害の調査を行ったJICA事業はこれまでもあるが、プロジェクト単位の調査に終わっており、国全体の災害史を作成した話は、少なくとも私は聞いたことがない。

地元に残る伝承を発掘、記録化することは、自然災害だけに役立つものではない。近年、猛威をふるうようになったHIV/エイズ、エボラ出血熱、ジカ熱など新たな風土病についても、地域に必ず口伝があるはずだ。地元に残る話から世界中に潜在する風土病の症状、流行経路などを掌握することで、新種の感染症の治療法、域外拡大防止策の開発にも役立つだろう。

このODAの事業名は、「Back For The Future」としたい。