日本の衆院改革にアダムズもびっくり?

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.370 8 Mar 2016
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

最近、新聞などで「アダムズ方式」という用語を頻繁に見かける。衆院議長の諮問機関「衆院選挙制度に関する調査会」が1月14日に提出した答申で、衆院定数の再配分方式として「アダムズ方式」の採用を求めたからだ。

多くのマスコミが、連日報じているので「アダムズ方式」についてすでにご存じの方も多いと思う。念のために説明を加えておくと、「アダムズ方式」は、各選挙区の人口を同じ数字で割って、商の小数点以下を切り上げた整数を、議席数とするものだ。「ラウンズ方式」、「最大剰余法」などいくつかある議席配分法の中で1票の格差や議席の変動幅が小さいこと、さらに人口の少ない選挙区にも必ず1議席が配分されることなどが利点だ。

この方式はアメリカの6代大統領、ジョン・クィンシー・アダムズが提唱したとされる。アダムズは死後150年以上もたった今、自分の名前が毎日のように日本のマスコミを賑わしていることに、泉下で驚いているのではなかろうか。

アダムズ大統領といえば、アメリカの新聞社や世論調査会社がしばしば行う歴代大統領格付けの中で、いつも20位前後にランクされる大統領だ。オバマ大統領まで計44人いる歴代大統領の中で、20位前後の評価というのは、際立った業績を残した大統領ではないが、取り立てて批判される大統領でもないといったところだ。

だが、そんなアダムズに対する評価が、近年、徐々に高まっているという話も聞く。従来、あまり評価されなかった理由は、アメリカ独立の指導者の一人で、対英、対欧交渉などに成果を挙げたジョン・アダムズ2代大統領の息子という家系だ。実力で成功した人物を尊ぶアメリカ人にとって、親子大統領というのはWIMP(政治的弱虫)に映り、評価を下げる。また、再選を狙った選挙で米西戦争や先住民との戦いで名を挙げた開拓地のヒーロー、アンドリュー・ジャクソンに敗れたことも、評価を下げる一因だった。2001年にジョージ・H・W・ブッシュ41代大統領の息子であるジョージ・W・ブッシュが43代大統領に就任した時、世界のマスコミが「アダムズ親子以来の親子大統領」」と報じたので、アダムズ親子の名を憶えている人もいるだろう。

アダムズが再評価され始めているのは、「アダムズ方式」のためではない。アダムズは、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸の相互不干渉(モンロー主義)を宣言した第5代大統領、ジェームズ・モンローのもとで国務長官を勤めた時、モンロー主義の成案に大きな影響を及ぼした。1821年に始まったギリシャ独立運動に対し、「アメリカは倒すべき怪物を探しに海外に出てゆくことはない」という言葉を残している。当時のアメリカの拡大論に歯止めをかけた政治家なのだ。アフガニスタン戦争、イラク戦争などで疲弊したアメリカ社会に高まる他国への介入拒否のムードが、アダムズの他地域への不干渉主義に調和して、見直されているようだ。

泉下に行って聞いてみないと分からないが、アダムズ本人は「アダムズ方式」で後世の日本で評価されるよりも、モンロー主義でアメリカ人に認められる方が嬉しいだろう。しかし、衆院改革に「アダムズ方式」が正式に採用されることになれば、それはそれで日本にも立派な功績を遺したことにもなる。「いやはや、今更、私がこんなに注目されるなんて…」と、薄い頭(写真から推測)を掻くかもしれない。

政策によって後世に名を残すアメリカ大統領は、「ウィルソン主義」(世界に自由と民主主義の定着)のウッドロー・ウィルソン28代大統領、「トルーマン・ドクトリン」(共産主義封じ込め政策)のハリー・トルーマン33代大統領など多々おり、最近も「レーガノミックス」のロナルド・レーガン40代大統領などがいる。オバマ大統領の「オバマケア」はまだ評価の対象ではないだろう。

巨大国家の大統領が歴史に名を残すのは、当たり前とも言えるが、ちょっと変わった形で名を残す人もいる。マイノリティの票読みの難しさに使われることが多い「ブラッドリー効果」は、1982年のカリフォルニア州知事選で、優勢を伝えられながら敗れたアフリカ系のトム・ブラッドリー・ロスアンゼルス市長に由来する。自分たちに都合の良い選挙区割りをする意味で使われる「ゲリマンダー」は、発案者した19世紀初頭のマサチューセッツ州知事、エルブリッジ・ゲリーとイモリのような両生類サラマンダ—の合成語だ。排他的な愛国主義を指す「ショービニズム」は、熱狂的にナポレオンを崇拝した兵士、ニコラ・ショーバンが語源とされる。いずれもあまりポジティブに使われることがない言葉なので、本人たちはいつまでも自分の名が残っていることに不満だろう。

開発関連では、1969年の世界銀行総会で発表された70年代の開発戦略報告書が、国際委員会の委員長だったレスター・ピアソン元カナダ首相の名を採って「ピアソン報告」と呼ばれている。この報告書は、「先進国は遅くとも1980年までに政府開発援助(ODA)をGNPの0・7%にする」ことなどを提言したが、主要援助国では、未だに実行されていない。

発表後、半世紀近く経た今も、「ピアソン報告」は援助国の努力目標として残るが、実現の可能性は遠のくばかりだ。ピアソンの名が「空に浮くパイ(Pie in the Sky)」に代わって、起こり得ないことを表す換喩にならにことを祈るばかりだ。