注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。
vol.372 15 Apr 2016
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏
中盤を過ぎて失速気味だが、米大統領選の共和党指名候補争いでトップに立つドナルド・トランプ氏がその名を世界に馳せたのは、過激な発言だ。「メキシコとの国境に壁を作れ」、「在日米軍を撤退して日本の核武装を奨励せよ」、「人工中絶をした女性は処罰する」など驚く発言は枚挙の暇がない。異称も「不動産王」から「暴言王」に変わりつつある。
一般にアメリカの大統領選はキャンペーン期間中、選挙後の関係修復が可能なのかとヒヤヒヤするほど、相手候補を激しく攻撃する。だから、今回の大統領選での誹謗中傷合戦には驚かないが、それにしてもトランプ氏の罵り方は凄い。生中継のテレビ討論会でテッド・クルーズ上院議員を「うそつきテッド」と呼び、背が低いマルコ・ルビオ上院議員(3月15日撤退)を「ちびマルコ」とからかうなど言いたい放題だ。トランプ氏が「ちびマルコ」を英語で何といったのか定かではないが、おそらく「Pee・Wee Marco」とか「Small Marco」などと言ったのだろう。日本には、さくらももこさんの人気漫画「ちびまるこちゃん」があるので、われわれには余計に頭に残る暴言だ。相手の身体的特徴を揶揄するのは、何でもありの米大統領選といえども、完全にイエローカードだろう。
これはアメリカ以外の民主国家にも共通するが、選挙が終わって勝利した候補が、政権を担当してGoverning Modeに入ると、発言は一転して極めて慎重になる。日米欧など先進国には、リーダーの失言を鵜の目鷹の目で探す賑やかなマスコミがあるからだ。失言は政局にまで発展する問題だけに、為政者もトラの尻尾を踏まないよう慎重な発言を繰り返す。トランプ氏の過激な発言がテレビの視聴率を上げたことでも分かるように、マスコミはリーダーの失言を待っている一面もある。シニカルな言い方をすると、失言をしない守りの堅いリーダーはマスコミ的には芳しくない人物でもあるのだ。
数年前からポリティカル・コレクトネスという言葉が、先進国社会に浸透している。ポリティカル・コレクトネスは、公平な用語を使用することによって、社会に潜在する差別や偏見の拡大を防ぐことを目的とする。
ポリティカル・コレクトネスの例言には、ポリス・パーソン(Police Person)やビジネス・パーソン(Business Person)などがある。確かに警察官には女性もいるからポリス・マン(Police Man)は不都合であり、実業界で活躍する女性が増えた昨今、ビジネス・マン(Business Man)も相応しくない。ジェンダーやジェネレーション公平の観点からMiss、Mrs.などの女性敬称も少なくなった。今では女性の未婚、既婚を問わないMs.の記述が主流だ。英語圏だけでなく、ドイツも未婚女性を指す「フロイライン(Fraulein」を公文書では使用していない。フランスも2012年2月、女性団体などの要請で、当時のフィヨン首相が未婚女性に付けられていた敬称「マドモワゼル(Mademoiselle)」を、公文書では使わないよう通達を出している。現在、公文書はすべての女性に「マダム(Madame)」が用いられているが、私のように「マドモワゼル」という甘い音の響きだけで、美しいパリ娘を思い浮かべてきた人間としては、いささか残念な気もする。しかし、これもポリティカル・コレクトネスの観点から容認しよう。
援助の世界でも近年、公平な言葉遣いが普及している。女性の雇用、教育などの機会均等を目的に取り組まれてきた「WID(Women in Development)」は、最近は対象を生物学的な性差でないジェンダーに拡大した「GAD(Gender and Development)」に取り替われつつある。当事国にとってはあまり嬉しくない単語をここまで重ねる必要があるのか、と疑問に思っていたLLDC(後発開発途上国=Least Among Less Developed Countries)」も消えていった。今はLDC(後発開発途上国=Least Developed Countries)」以外の表現をあまり見かけない。
日本でも市民向けの文書などでは「被援助国」という用語が「援助受取国」といった表現に改正されている。外務省やJICAのポリティカル・コレクトネスの基本理念は、援助する国、援助してもらう国という上下関係をイメージする文言の修正で、「協働」を表す用語が増えている。
私も半世紀近く、もの書きを生業として生きてきたので、使う言葉の選択には神経を使っているつもりだ。若い記者の頃、誤った用語を使った先輩記者の記事に全国的な団体が抗議、新聞社のビルがデモ車両に取り巻かれたのを目にした。以後、筆をとる時は、公平な言葉の使用を肝に銘じている。しかし、なにせうっかり者なので、まったく意図的ではないのだが、たまに足を踏み外しそうになることがしばしばある。油断は禁物だ。
蜘蛛の糸のように情報監視の目が張り巡らされている現代社会では、公職者や有名人の失言をあげつらう風潮が高まっている。ネット上などで"言葉狩り"で炎上するケースも多い。不適切な文言の使用によって、人間の尊厳を傷つけることは絶対に許されない行為であり、それが意図的に使われたのなら炎上もやむを得ないだろう。
しかし、些細な不適切発言を見つけて、鬼の首でも取ったように騒ぎ立てるのも如何なものかとも思う。文言を意図的に捻じ曲げて解釈し、クレームを付ける例すらある。失言が社会正義の根幹を揺るがすようなものであった場合は別だが、大局を見ずに重箱の隅をつついて大騒ぎする風潮は、言説が貧困化して熟議という民主主義の基本理念を危うくする。ポリティカル・コレクトネスも加熱すると、公平でも公正でもなくなることを知っておきたい。