【ボランティア】野球を通じてスポーツの楽しみと人材育成を

2013年6月24日

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チームごとに色の違うユニフォームで整列

去る5月18、19、25、26日の4日間、灼熱の太陽と埃と小石だらけのグラウンドで、第2回ワガドゥグ市中・高校野球大会が開催され、参加7校が熱戦を繰り広げました。二石大使夫妻も観戦された決勝戦の最終スコアは1−0と、投手戦で緊張感のある試合でした。大会運営の質向上の一環として、視覚的に訴えかけるためにも7校の参加選手がそれぞれの色で計7色のポロシャツユニホームと帽子を着用。学校名は覚えてなくとも色でチームがはっきりと分かり、盛り上がりました。

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N'DIAYE IBRAHIM氏(写真右)。現連盟長

配属されたばかりの3代目野球隊員の杉山隊員に加え、2代目隊員として野球指導にあたった安河内隊員も短期隊員としてブルキナファソに駆けつけ、大会実施のサポートを行いました。第1回大会はちょうど1年前、4校の参加で実施され、第2回は昨年11月に実施されかけたところで、参加チームの事情により大会途中で中止。今回、改めて第2回大会の開催となりました。実施・運営は、昨年11月に再編成されたばかりの野球連盟ワガドゥグ市部が行い、大会前に練習試合のマッチングが多くなされるなど運営の質も向上しています。

ブルキナファソで野球が始まったのは1993年。隣国マリでの出張中に初めて野球を目にしたブルキナファソ人の電信会社の社員N'DIAYE IBRAHIM氏が、「ブルキナファソでも野球がしたい!」という純粋な動機で、最初の野球チームを発足させ、リトルリーグを創設したことに始まります。

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コーチとして今大会に参加したサンホ・ラシィナ君(左)

現在のブルキナファソ野球・ソフトボール連盟が発足したのは、今から9年前の2004年。野球に挑戦している子供達と偶然居合わせた協力隊員が道具の支援を始めたのがきっかけとなり、2008年から始まる連盟と野球隊員の協力活動につながりました。

初代の野球隊員として派遣されたのは、出合隊員(平成19年度4次隊)でした。あきらめない粘り強さと誰に対しても必死に想いを伝える力に優れ、彼が立ち上げたチームのモットーは「自分で考え、動くチーム」。2009年にはチームのメンバー12名が日本遠征を果たし、現在も指導者なしで自分達で考えて練習を行うほか、市内のリセ(日本の中学校及び高校にあたる)でコーチをするなどの活動を行っています。そのうちの1名サンホ・ラシィナ君は今年の7月に、四国独立リーグの高知ファイティングドッグスに練習生として参加し、登録選手としての入団テストにもチャレンジすることになっています。

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安河内隊員による練習風景:コンクリートブロックがセカンドベースのダブルプレー練習

2代目として派遣された安河内隊員(平成22年度2次隊)は誰もが認める野球好きで、40度を超える中でも「ずっと野球をしていたい」というほどの情熱と体力の持ち主。クラブでの指導に加えて市内高校での普及活動を精力的に行い、今回の大会に参加した7校のチーム創設から技術指導を行いました。今回は短期隊員として再赴任し、見事な大会サポート役を果たしました。

3代目は3月末に赴任した杉山隊員(平成24年度4次隊)。「今回の大会期間中の選手の技術向上は目覚ましい」とコメント、その冷静な視線は、将来のブルキナ野球を支える少年野球層の拡大に向いています。

同連盟員は皆ボランティアとして活動を行っていますが、野球という競技だけでなく、選手登録をしている青少年の高校への進学を支援したり、感染症啓発等も行っています。今後の大きな目標は、整備された野球専用グラウンドを作ること、日本のインターハイ・インカレに相当する学校スポーツ全国大会(USSU-BF)への公式種目として参加すること、西アフリカ野球連盟とアカデミーを設立し、選手を育成することです。野球をするための環境が整わない中でも、国内外に積極的に働きかけながら、着実に目標の実現に向かっています。

ブルキナファソでの野球はまだ始まったばかり。JICAは、これからも、連盟の目標に沿って普及活動に協力し、その中で仲間や相手、道具に敬意を払うことやそれを周りにも伝えることを身に付けるという青少年・人材育成に貢献したいと考えています。

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優勝決定のシーン。優勝したのは青チームだが関係なし。他校の選手や観客も混じっている

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試合後しっかりと互いの健闘をたたえ合う。中には悔しく泣いている選手も

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試合後の集合写真

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協力隊員の活動がきっかけで贈られた道具