途上国で人々がより暮らしやすく、生きやすくなるために

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(青年海外協力隊OG:H16年度3次隊ボリビア/村落開発普及員)
奥田桐子さん

 多文化共生が大きな課題の中部地域。JICAボランティアに参加し帰国したOBOGは、外国人の支援活動を行っている方がたくさんいます。そんな中の一人、奥田桐子さんは在住外国人と日本人の架け橋になるべく、仕事とプライベート両面において積極的な活動をされています。今月はそんな奥田さんにお話をお聞きします。
(聞き手:市民参加協力課 前納)

はじめに、国際協力に興味をもった経緯をお聞かせ下さい。

 「国際協力」を意識したのは20代半ばを過ぎたころだったでしょうか。それまでも、小中学生のころから海外の国や異文化、言葉などには関心があったのですが、今思えばいわゆる「国際交流」の域を出ないものでした。ただ、もともと私の両親が差別や社会的不平等などに意識が高かったため、子供のころから私自身もそのような問題意識は潜在的にずっと持っていたとは思います。
 国際協力、途上国支援ということに目が向いたきっかけは、9.11のテロでした。あの時国と国との力関係や国ごとの経済状態などはさまざまだけれども、途上国といわれる国でその国の人たちがより暮らしやすくなる・生きやすくなるために自分が何かできるならそれをしたいという、直感のようなものを感じました。その後、JICAやNGOのセミナーに参加したり情報収集をしながら、自分に何ができるのかを探っていました。その間、外務省主催のODA民間モニターに参加し、ベトナムのODA案件の視察にも行きました。

協力隊には、応募倍率の高い村落開発普及員として参加されましたが、それまでに何か国際協力の経験はあったのですか?

 NGOなどでの実際の活動経験はありませんでした。何か活動をしたいと思いつつも、毎日仕事が忙しく、なかなか実行に移せずにいました。ただ、仕事を通じて、企画やマーケティング、調整業務などを経験していたので、それを活かせるのではないかと思い、村落開発普及員に応募しました。村落開発普及員は、隊員によって現地での活動が多種多様なので、私の経験が活かせる募集内容にうまくはまったということですね。

ボリビアでは具体的にどんな活動をされていたのですか?

 ボリビアではCEPAC(セパック)というNGOに配属されました。そのNGOの活動対象のいくつかの村で、女性が現金収入源を持つことができるようにと、さまざまなスキルアップ講習を行いました。牛脂のせっけん作り、キャンドル制作、バナナの葉を使った雑貨づくりなどです。もともと、作った製品を売るための場所と機会があったため、「売れるものを作る」という視点を大切にしました。活動対象の村のひとつが観光振興に力を入れており、その機会も利用しました。その村には、子供の病気が治るという御利益のある有名な教会があり、日曜日に近隣の町や村から集まる大勢の人に、商品を売ることができました。講習の他には、その村役場の担当者と協力し、より多くの集客ができるようPRポスターを考えたり、パンフレット制作をしました。

帰国後に日系人と関わることになったきっかけについて教えてください。

 私が日系人に関心を持ったきっかけは大きく2つです。
 ひとつめは、大学時代に受けた「異文化間教育論」という、第二次世界大戦時のアメリカにおける日系人収容所を取り上げた授業でした。アメリカには19世紀末から労働移民として日本人が移住を始めたのですが、第二次大戦が始まると「敵性外国人」として、日本生まれの1世もアメリカ生まれの2世も強制収容所へ入れられました。授業では、その収容所内でのコミュニティ運営や学校教育がどのように行われたかということを学んだのですが、その時に、1世と2世とのアイデンティティの違い、2つの文化的背景を持つ2世の葛藤やその要因について、そして、日本人の海外移民について大きな関心を持ちました。
 ふたつめは、協力隊活動中にボリビアの日系人と交流があったことです。私の活動地の近くにはコロニア・サンフアンという日本人移住地があり、協力隊活動やプライベートでよく訪れ、日系人の方には非常にお世話になりました。日系人の方との交流が深まるにつれて、そういえば私の出身地の中部地域には南米から働きに来ている日系人が多いんだったと気付きました。私は大学進学以降ほとんど地元の名古屋を離れていたので、南米出身日系人の方と直接の接点はなかったのですが、それでも中部地域の様子は、あちこちから情報が入ってきていました。ですから、初めはボリビアで暮らす日系人に関心を持っていたのですが、徐々に、「日本に働きに行っているこの人たちの親族は日本でどう暮らしているんだろう。彼らを取り巻く状況はどんなものだろう」という日本国内への関心に移っていきました。それが、日本に帰国後も日系人にかかわっていきたいと思った大きなきっかけとなりました。
 帰国後に実際にこの中部地域の状況を見て、南米出身日系人をはじめ国内の在住外国人の方々が実にさまざまな課題や困難を抱えていることがわかりました。それで、そうした課題の解決にかかわっていきたいと、気持ちを新たにし、現在に至っています。

現在のお仕事ではどのようなことをしているか教えてください。

 有限会社人の森(注1)に勤務し、その中の、外国人スタッフを雇用する企業向けコンサルティング・労務管理サポート・研修事業を行う海外人財ネット事業部で研修講師として、研修メニューの開発・研修実施などに携わっています。例えば、昨年度は日本での就職を目指す外国人留学生を対象とした日本型企業文化・日本型経営理解の講義やビジネスマナー講習を行いました。また最近は、外国人と日本人が共に働くさまざまな業種の企業からも、日本的労働観や日本型企業文化の理解を目的とした研修依頼が増えてきています。労働観や企業文化が異なる国の人たちが共に働く場合、ある種の異文化摩擦が起こります。企業の場合その摩擦を放置しておくと、生産性のダウンなど企業活動に支障が出てしまう場合もあるので、その解決が不可欠です。南米出身の日系人の方が多く働く製造業の現場でも、日本人・外国人ともに同じような悩みを抱えていることが多いです。
 そのほか現在は、昨年秋の世界的不況で失業した日系人の方を主な対象として、日本で仕事をし、生きていく力をつけるための研修を企画しているところです。

お仕事以外でも日系人にかかわる活動などはされているんですよね。

 昨年末から仕事を失っている日系人の方々に、協力隊出身の仲間と共に食糧品や生活用品などの支援物資の提供をさせていただいています。これまでに、豊橋市国際交流協会や豊橋の教会、三重県国際交流協会などに持っていきました。また、在住外国人関係の活動としては、名古屋国際センター日本語の会のボランティアもしています。

今年6月には、なごや地球ひろばで開催されたドキュメンタリー映画「ブラジルから来たおじいちゃん」の上映会トークショーで司会も担当されましたが、いかがでしたか。

 映画上映会とトークショーに非常に多くの方が来場されたのは(編集部注:150名超)、日本人の海外移民の歴史や、現在の日本での日系ブラジル人の様子を知ってもらえる機会という点で、とても嬉しかったですね。ゲストの伊木ロドリゴさんの日系ブラジル人としての生の声は、新聞やニュースで見聞きするだけでは分からない日系人をとりまく状況や課題を、身近でリアルなものとして来場者の皆様の心に残ったのではないかと思います。どんなことでもそうですが、現実に何が起こっているのかをまずは知ることが大事だと、私自身、改めて感じました。

今後の抱負をお聞かせ下さい。

 日系人に限らず日本国内の在住外国人に関わる仕事や活動をしていきたい、という気持ちはおそらく今後大きく変わることはないと思います。彼らを巻き込んで、どんな形で一緒に取り組めるかを考え、実際のアクションにつなげていきたいです。

どうもありがとうございました!


注1:有限会社人の森
青年海外協力隊OBで元JICA専門家の野田直人氏が代表取締役をつとめる、発展途上国への開発協力や、国内外の外国人雇用問題に関する事業を柱とする有限会社。

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