被災地復興のために私のできること

【画像】佐屋 達紀(さや たつのり)さん

青年海外協力協会(JOCA)中部支部 ボランティア事業担当
佐屋 達紀(さや たつのり)さん

今回は、青年海外協力協会(JOCA)の中部支部でボランティア支援事業を担当され、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市の被災者支援ボランティアに参加された佐屋達紀さんにお話しを伺います。

現在のお仕事を選ばれるきっかけはなんだったのでしょう?

 初めのきっかけは、JOCA中部支部、石井支部長からの誘いでした。仕事の話を聞いているうちに、すごく興味を持ち始め、やってみたいと思いこの仕事を選びました。いろいろな人と出会える職場、これから協力隊へ参加を考えている人、協力隊OBの方や、沢山の方と出会えるので毎日楽しく仕事をしています。事務作業が主な仕事ですが、今まで車しかいじったことなかった私にとって、パソコンを使った仕事に日々勉強させてもらっています。

お仕事をされていて難しいと感じたこと、うれしかったことについて教えていただけますか?

 日々、いろいろな人と出会えることです。その中でも、協力隊の募集について相談を受けていた方から、合格の報告があったときは自分のことのように喜びを感じました。また、協力隊OB/OGの方とも仕事をする機会が多いので色々なかたと出会えることはとてもうれしいです。
 あとは、募集説明会などのイベントが無事終わったときの達成感です。何ヶ月もかけて準備をしているので、無事終えたときには、満足感でいっぱいになります。

今回、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市でボランティア活動をなされてこられたそうですが、現地での様子について教えてください。

 私の活動期間は、3月28日〜4月11日の約2週間でした。私達が活動していた渡波小学校は、海の近くにある学校で、津波により1階はぐちゃぐちゃになっていました。活動内容は、炊き出し、物資管理および調達、学校の掃除を主に行ってきました。特に、私たちは協力隊OB/OGの集まりだったのでそれぞれの得意分野での活動も行いました。例えば、看護士、保健師は医療関係。料理隊員は炊き出し、柔道、体育隊員は力仕事、電気隊員は学校の電気修理などを行いました。私は、炊き出しのご飯を被災者へ配ったり、呼び込み(炊き出しの連絡)、物資の管理・調達、グラウンド整備、学校内の掃除など、時間の許す限りさまざまなことを行なってきました。

 渡波小学校で一番初めに依頼を受けたのが炊き出しです。なので、毎日欠かさず、1ヶ月ほど同じ場所で炊き出しを行っています。そうすることによって、被災者の方が安心してご飯を食べられる場所の提供ができ、精神的な不安の一部が取り除けると考えています。毎回、被災者の方からは「温かい食べ物が食べられて大変助かっております。体が温まります。」と感謝の気持ちを伝えていただきました。

 私達が寝泊りをしていた石巻専修大学から活動先の渡波小学校へ行くときの光景は想像を絶する光景でした。津波の威力のすさまじさを目の当たりにして言葉を失ったのを覚えています。家や車などがぐちゃぐちゃになっていて、瓦礫の山がそこらじゅうにありました。映画の世界にでもいるような感覚で、ここが本当に日本なのか目を疑ったほどです。そして、町全体を覆うにおいも独特なもので、きつかったです。

 山積みの瓦礫は、重機がないと動かせないこともあり、なかなか片付くことはありませんでした。道路は通れるようにはなっていましたが、道路の真ん中で横倒れになっている車や地盤沈下の影響で満潮の時間になると、海水で水浸しになってしまう所など、場所よってはまだまだひどいところは沢山ありました。

 学校などの避難所で生活をしている被災者の方々は、日中は自宅の片付けや瓦礫の山の中で思い出の品を探していました。もちろん、自宅で生活している人も家の片付けなどに追われていました。そんな状況の中で、被災者の中には、私達の活動を手伝ってくれる方もいました。自分の事で精一杯なのに手伝いをしてくれる被災者の方を見て泣けてきました。

青年海外協力隊では自動車整備士としてケニアに派遣されたと伺っていますが、協力隊のご経験や、ご自身の技術は現地でどのように活かされましたか?

 実は、自動車整備士としての経験を活かす前にすることがありました。当初は、車の修理をしようと思って向かったのですが、石巻の現状を見て修理をする前にやるべきことが沢山あると感じ、そちらを優先しました。それでも、時間のあるときにパンク修理や、車の税金、保険の相談を受けたり、少しでも被災者の方の不安を取り除けるように得意分野で活動をしました。全然できませんでしたが・・・ でも、協力隊活動の経験は、かなり役に立ったと思います。判断力、行動力、コミュニケーション力、生活環境に慣れることなど、協力隊の経験が活かされたと思います。どんな環境でも諦めずにやれることをすぐやる精神力は協力隊仕込みかなと感じました。

今も現地で頑張っていらっしゃる被災者の皆さん、また協力隊OBやOGへメッセージがありますか?

 被災地で、協力隊OB/OGがやれることは沢山あります。むしろ、必要とされている重要な人材です。開発途上国で得た経験を十分にいかすことが出来ます。皆さんが本気で活動すれば復興もその分早まると強く思います。被災地へ行く前に情報収集をしっかりしてから今自分にできる事をやっていって欲しいです。

 大変な時期はまだまだ続くと思います。復興までにあと何年かかるか分かりません。私自身、微力ながら今後も自分の出来る範囲で協力したいと考えています。この大災害を忘れることはありません。一緒にがんばっていきましょう。

活動中に起きた地震で感じたこと

 夜中の11時30分ごろ、テントで寝ているときに一度大きな地震が起こりました。地震の大きさに驚いたと同時に立てなくなる怖さを体感しました。そのあと、大津波警報のサイレンが鳴り響いてとても不気味でした。戦時中の空襲のときのサイレンもこんな感じだったのかなと思いました。明かりも多くなかったので遠くの状況がわからず、いつ津波が来るか分からない状況に息が詰まりました。

 避難中の事を振り返っているときに、すべての人に手を差しのべるのは困難だと感じました。自分達の協力隊チームだけをまとめるのに精一杯で他のボランティア団体の方と協力する余裕はありませんでした。避難時に自分が出来ることの限界を肌で感じました。でもそれは悪いことじゃなくて、避難時に行動できる人間が多くなればなるほど助かる人も多くなると思いました。

協力隊での経験が被災地で活かせることが出来たのは、赴任していたボランティアの任地で頑張られた経験があったからだと思います。 現地での詳細な活動報告、ありがとうございました。

 

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