在住外国人の人たちと共に伊賀のまちづくり

NPO法人 伊賀の伝丸(つたまる)副代表
菊山 順子(きくやま じゅんこ)さん

今回は、三重県伊賀市を中心に、多文化共生社会推進に関わる活動を展開するNPO法人 伊賀の伝丸(つたまる)副代表の菊山順子さんにお話しを伺います。
(聞き手:三重県国際協力推進員 三輪田 貴)

現在のお仕事を選ばれるきっかけはなんだったのでしょう?

兵庫県の県職員として学校栄養士をしていた1998年、2年間休職して青年海外協力隊に参加し、南米パラグアイに派遣されていました。帰国後、退職し、実家のある三重県伊賀市に戻って来ました。私が大学に入るまで過ごしていた伊賀市、外国人・・・といえば、英会話学校の先生か教会の牧師さんぐらいだったのですが、1990年頃からその様子が変わってきました。

ある日、市役所近くで行われていたフリーマーケットに行ったところ、スペイン語を話している人たちに出会ったのです。その後、市の広報に「ポルトガル語かスペイン語を話せる人募集」という記事を見つけました。パラグアイに派遣され、スペイン語が話せるようになっていましたので、どんな仕事なのか、尋ねに行きました。仕事の内容は、「増えてきた外国籍の子供たちのために、市内の学校に新しく外国籍の子供たちを受け入れるクラスを開設するので、そのクラスを担当してほしい」、とのことでした。教員の資格も持っていない、日本語指導の経験もない私でしたが、パラグアイで、まだ上手くスペイン語が話せなかった時に私を助けてくれた人たちのことを思い出し、私の故郷である伊賀市に住んでいる外国籍の人たちの手助けをすることが、今の私の仕事だと思い、学校での仕事を受けることにしました。

実は、実家に戻った時、ずっと伊賀市で住むつもりがなかったのですが、どんどん増えてくるペルー人やブラジル人たちと関わっていくうちに、この町で住むことがおもしろくなり、今では、伊賀市での多文化共生に関わるいろいろな仕事にどっぷりつかっています。

伊賀の伝丸の活動と菊山さんの担当されているお仕事について簡単にご紹介頂けますか?

NPO法人 伊賀の伝丸は、「言葉の壁を乗り越えてともに住み良いまちづくりをする」ことを目指して1999年4月に設立しました。多言語での通訳・翻訳、多言語情報の提供、多言語生活相談、語学講座などを行っています。また、2年前から三重県からの委託事業で「就業のための日本語習得事業」と「外国人住民アドバイザー事業」も行っています。

私は、副代表でスペイン語の担当をしています。主に病院や学校での通訳、証明書の翻訳などを行っています。副代表として、伝丸の運営にも関わっています。

菊山さんは、伊賀の伝丸の活動以外にも日本語教室、無国籍レストラン経営、演奏活動なども行っていますが、活動内容についてお聞かせくださいますか?また、その幅広い活動の原動力は何でしょう?

1993年から活動を始めたボランティア日本語教室「伊賀日本語の会」の初代事務局長、現代表です。水曜日と土曜日の夜に在住外国人の人たちにボランティアで日本語を教えています。また、その日本語の会で出会ったペルー人たちと南米フォルクローレ演奏グループ「ワウヘミカンキ」を1994年に結成し、三重県下の小中学校や各地で開催される国際交流、多文化共生事業などで演奏しています。遠くは富山県まで行ったことがあります。富山県は、「ワウヘミカンキ」のメンバーの日系ペルー人の祖父の出身地です。

無国籍レストラン「ぽれぽれ家」は、9年前にオープンしました。多文化共生のための活動を通して、伊賀市に住んでいるいろいろな国の人たちと関わるようになり、多くの国の人たちと友達になりました。そんな彼らのことを理解してもらうために食を通したイベントを数多くやってきました。イベントの中で試食してもらった料理を常時食べることが出来る店があればいいな〜と思っている時に、知人から「やっていた居酒屋をやめるので、そのあとを引き継いでほしい」という話があり、すぐに乗りました。私は、管理栄養士と調理師の資格を持っていましたので、2か月ほどの準備で店を開店することが出来ました。

伊賀市は、「盆地なので閉鎖的でよそから来た人を受け入れるのが苦手な町だ」と誰もが言っていました。しかし、その伊賀市に多くの外国籍の人たちが住むようになり、町の様子が変わって来ました。私自身が、住むことをためらっていたのに、出会った外国人の友人たちのおかげで、「この町に住もう!」と思ったように、他の人たちにもそう思ってほしい、そして、何より、伊賀に住むことになった外国籍の人たちにこの町を好きになってほしいと思ったのです。私が、パラグアイに行き、その国が好きになり、また行ってみたいと思ったように。そのために、いろいろなことをやっているように思います。でも一番は、私自身が楽しいからですが。

菊山さんは、以前に青年海外協力隊に参加されていますが、協力隊への参加は現在のお仕事にどのように影響していますか?

まず、スペイン語が出来るようになったことは、大きいですね。協力隊に行く前は、まさか日本に帰って来て、スペイン語がこれだけ活かせるとは、思っていませんでした。

「待っていても誰も仕事を与えてくれない。今、この町に何が必要で、どうすればいいのか考え、そのためにプランを立て、協力者を探す。そして、その協力者とともに実行に移す。困難だと思ったことでも、やれば出来る・・・」これは、協力隊時代に経験してきたことです。2年間の協力隊でのいろいろな経験が、今の私の力になっています。

お仕事をされていて難しいと感じたこと、嬉しかったことについて教えて頂けますか。

もともとプラス思考の方なので、あまり難しいと感じることがないんです。逆に嬉しかったことは、いっぱいあります。よく小学校や中学校で演奏したり、多文化共生に関する話をする機会がありますが、私の話を聞いて、日本語教師の勉強や外国語を勉強し、卒業してから、ボランティアやNPOの活動に参加してくれる人もいます。中には協力隊や日系社会ボランティアに行った人もいます。また「もう僕は伊賀人です。」と言ってくれる外国籍の友人がいます。そんな、いろいろな人たちと共にまちづくりが出来ることが、嬉しいですね。

今後の抱負をお聞かせください。

小さいときに親と一緒に日本に来て、ここ伊賀で育っている外国籍の子供たちがたくさんいます。いろいろな困難に立ち向かいながら、皆、一生懸命、頑張っています。母国語と日本語を話せる彼らが学校を卒業して、出来る語学を生かしながら、この町で仕事が出来るように、仕事を作っていくことも大切だと思っています。誰もが住みやすい、そして楽しいと思える町をめざして、これからも、在住外国人と共にこの伊賀のまちづくりをしていきたいと思っています。

ありがとうございました。 今後もご活躍を楽しみにしています。

 

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伊賀日本語の会 生徒と共に奈良へ遠足。