【JICAボランティア活動記】「私を活かして、私にできることを」

2017年9月26日

■池田 昌代さん(現地中学校で折り紙)

池田 昌代(いけだ まさよ)さん
平成23年度0次隊
ブラジル・文化
愛知県豊川市在住

「応募はご縁」

日本語学校の生徒と

もともと教員志望ながら社会人のスタートは企業勤めの事務職で切ったのですが、まわりまわって小学校で常勤講師として働くことになった時、出会ったのが“外国につながりをもつ子ども”の教育でした。担当して丸1年が過ぎる頃には、ずっとこの仕事をしていきたい!と思うようになり、この仕事に長く関わっていくための進路を模索していた2010年、JICA中部が主催する教師海外研修でブラジルへ。
現地ではJICAが支援するサイトに加え帰国日系子弟のサポートが入っている学校を含むいくつかの学校を見学した他、現職教員特別参加制度で派遣されている現職教員の方々、訪問先の都市に派遣されているJICAボランティアの方からお話を伺う機会がありました。
自分が担当していた子どもたちの多くがルーツにもつ国、ブラジル。この国でJICAボランティアとして活動できたら、今後に活きるに違いない。
研修で出会った仲間にも背中を押され、その年のJICA海外ボランティアの秋募集の冊子を手にしました。

「私にできることを、助けられながら。」

運動会で一番衝撃的だった「つな引き」。スタート後に観客たちが場外から参戦。左右のバランスが・・・

派遣先は、ブラジルサンパウロ州地方都市の65周年(当時)を迎える日伯文化協会。着任後最初に参加したのは、協会の運動会でした。ブラジルと日本の国旗掲揚と国歌斉唱から始まり、協会の建物の中では焼きそばや巻きずしなどのお弁当が作られ、飛び交う会話はポルトガル語と日本語、目の前で繰り広げられる運動会の日本とのギャップ・・・派遣前に働いていた学校や地域でのボランティア、そしてJICAの派遣前訓練で理解していたつもりのブラジル日系社会でしたが、実感を伴った、という感覚を強く覚えました。

お習字ワークショップ

派遣先では、協会のイベントや会員向けの集まりなどでのワークショップ提供、協会が運営する日本語学校での習字やそろばん、歌や手遊びの他、日本語の授業も任されました。文化職種として私は初代派遣でしたが、協会は私と入れ替わりで帰国したボランティアを含め既に4名のボランティアを受け入れており、4名とも日系日本語学校教師。当然日本語の授業も任されるだろうと予想してはいましたが、私には日本語教育は専門外。ポルトガル語も不十分ですしプレッシャーはありましたが、派遣前の指導経験を活かしながら、また同期の日系日本語学校教師ボランティアたちに支えられながら務めました。
現地には民謡を極めた方々や踊りの師範のような方もいらっしゃり、日本文化の個別具体的な分野に特化していないのに文化隊員として派遣された私は委縮してしまうこともありましたが、ありがたいことにインターネットが使える環境でしたので、調べたり、人のつながりを辿って情報と協力を得たりと、本当に様々な人とものに助けられました。つてを頼って、また頼まれて、派遣先だけでなく現地の学校でおりがみワークショップをさせてもらったり、コミュニティセンターのようなところで盆踊りをしたり。様々なつながりや縁に助けられた2年間でした。

「再びご縁に導かれて」

イベントでの茶道・お抹茶紹介

帰国後また外国につながりをもつ子どもの教育に関わりたい。そう思って飛び込んだJICAボランティアの活動でしたし、派遣中も帰国後も、今も、その思いは変わりません。生活の中や旅先で出会う人々や彼らの様々な生活環境・生活習慣に触れて、或いは自分に不慣れな言葉や文化の中で暮らして、自分が得たいと思っていた肌感覚を2年間で少なからず得てきました。ただ同時に、アイデアと行動力に溢れた同期や協会の方々との協働の中で、自分は企画することや表に立つこと、大勢の人を対象にすることよりも、企画豊富な人を支える裏方の方が断然好きだし向いている、ということも強く感じた2年間でした。

日本語学校・中高生クラス。日本での指導経験が役立ちました。

外国につながりをもつ子どもの教育や支援はこれからもずっと興味が尽きず自分の人生から切り離せないだろうから、ひとまず離れて、生業にはより自分の適性を活かしたい。帰国後、小学校で非常勤講師をしながらその思いをさらに強くし、事務を募集していた財団に応募。運良く採用されました。事務職のつもりで入った地域国際化協会、何の因果か、得意とは言い難い企画を存分にせねばならず、図らずも教員とは異なるアプローチで外国にルーツをもつ子どもの支援に関わることができ、そして、ブラジルにいた時もそうでしたが、今回もアイデアと行動力に溢れた仲間に恵まれた職場に今、身を置いています。自分の知識や能力が不足するところや不得手な部分は多々助けられながら、裏方仕事を買って出ては自分の適性と存在意義を確認しながら、日々是修行で3年が経ちました。これからもブラジルでの2年間のように、私を活かして私にできることを、ご縁ある人たちとともに取り組んでいけたらと思います。