言葉に想いをこめて−中米ベリーズでの原爆展−

【写真】濱長 真紀(はまなが まき)広島市国際協力推進員
濱長 真紀(はまなが まき)

体育巡回指導先の子どもたちと

子どもたちにミサンガの作り方を教えている様子

原爆展の様子

初めて子どもたちと折った千羽鶴(いらない本をちぎって作った)

出張原爆展に向かう前のバス停で(子どもたちが荷物を運んでくれた)

同僚の先生(どこで手にいれたのか)、私の写真を拡大して「宝物だ」とずっと大事にしてくれていた。

帰国前、私から配属先へ寄贈した千羽鶴

ベリーズから広島へ届いた千羽鶴

2008年1月10日
カリブ海に面した国、ベリーズへ出発する日。
広島空港へ見送りに来てくれた家族。
顔をまっすぐ見たら、涙が溢れ出るのが分かっていたので
空港でそっと家族の写真を一枚撮って、ベリーズへ持っていきました。

「青年海外協力隊に参加したい」そう思ったのは中学生の頃でした。
きっかけは、母が何気なく私に渡した一冊の本。その中に書いてあった「青年海外協力隊」という文字。
そして、広島の学校で毎年8月6日に行われる「平和学習」。
“いつかは自分もヒロシマから、青年海外協力隊として世界へ”
今思えばその頃から、私の心の隅にひっかかる“世界に繋がる何か”があったような気がします。

大学4年の終わり。
就職も決まっていたけれど、やっぱり諦められず挑んだ憧れの青年海外協力隊。
合格通知が来た時の感動は、今も忘れられません。
その頃から今でも心に決めていること
「迷ったときは、自分らしく、どきどきわくわくする道を選ぶ」

はじめてベリーズの地を踏んだ瞬間の感動。
むわっとした暑さ。流れるレゲエミュージック。見たことない空の青さと手が届きそうな距離感。
こうしてメキシコとの国境近くの村で、私のベリーズ生活は始まりました。

配属先の小学校に赴任した3ヶ月後、体育の授業とは別で、子どもたちと一緒に折り鶴を作り始めました。
ヒロシマの話をして、「平和を願う気持ちを鶴に託そう。」
そんなことから任期終了までの2年間、ベリーズの子どもたちと折り鶴を作り続けました。

ある日の自習の時間。私が教室を回っていると、子どもたちが机の下でごそごそと何かをしていました。
よく見ると、全員が自分たちのノートをちぎって折り鶴を作っていたのです。
中にはお金もないのに一枚の色紙を買い、一生懸命に折り鶴を作って恥ずかしそうに渡してくる子も。
“千羽になるまであと何羽?”“メッセージを中に書いてもいい?”と

それから、原爆について知ってもらう為、平和記念資料館から資料を取り寄せ、隊員仲間の学校やコミュニティセンター、村の空き地などを利用し、ベリーズ各地を巡回し原爆資料を展示しました。

ある村でおこなった原爆展。
その村の小学校では、以前原爆展をおこなったことがありました。
そこで展示していたあるパネルの前で、半年前に原爆展をおこなった学校の女の子が、大人に何か一生懸命話していました。
「サダコさんは原爆が投下してから数年後に亡くなったんだよ。なぜかっていうと…」

私が伝えた佐々木禎子さんの話を、身振り手振り、大きな声で大人に伝えている彼女の姿を見て涙がこぼれました。
人から人へ、伝え繋げていくこと。
だから忘れない。
だからこそ拡がっていく。

配属先で体育を教え始めた頃。
言葉もしゃべれず、なかなか積極的になれず、配属先の校長先生ともぶつかり、涙を流したことが何度かありました。
けれど、授業が終わった後に子どもたちから聞く「次の体育はいつ?」「マキ!早く体育がしたい!」という言葉に何度も助けられました。

帰国の日が近づくにつれ、「もっと何か出来たはずなのに」「何が残せたんだろう」そんなことばかり考えていました。

帰国前日。
首都から任地へ帰るバスの中。
生徒の親に会いました。
「本当に日本に帰ってしまうの? 私の子どもがいつも家でマキの話ばかりする。子どもはマキが言う言葉を全部覚えているんだよ。何でそうなるかわかる?  マキの言葉には想いがこもっているからだよ。」

嬉しいこと、悔しいこと、辛いこと、情けなかったこと、感動したこと。

そんなことの連続で、泣いてばかりいた協力隊生活。
悔しいことのほうが多かった2年間。初めて知った自分の弱さ。
けれどベリーズでの活動、そしてこの原爆展を通して彼らからもらったものは、もっともっと多くって、大きかったように思います。

伝えていくことの大切さ、そこに想いをこめることの大切さ。
本当に多くのことを学んだ2年間でした。

青年海外協力隊に参加する前、セミの鳴き声とアスファルトの照り返しを見ると、いつも広島の平和記念公園を思い出していました。
そして、8月が近づくといつも罪悪感を感じていました。
「ヒロシマに生まれ、なのに何も行動していない自分」に。

ベリーズで原爆展の始めたのは、そんな自分に対する思いからからだったのかもしれません。


先日久しぶりに昔の友人に会いました。
「昔から平和記念公園で働きたいって言ってたよね。」

そして今、その場所で働いている自分。


この場所で働けることに感謝し、ベリーズの人からもらった優しさや笑顔を、これから出会う色んな人に返していきたいと想っています。
今度は、この場所から各国の隊員がおこなう原爆展をサポートしていき、そしてここから、元気と笑顔を拡げていく。
そんな広島市の国際協力推進員になりたいと思っています。