鳥取県智頭町でサドベリースクール事業を立ち上げる

青年海外協力隊(19年度1次隊) 派遣国:フィリピン 職種:理数科教師
長谷 洋介

協力隊の経験がくれたもの

みなさん、こんにちは。僕は6年前の2009年6月に帰国し、来年の春からは鳥取県智頭町でサドベリースクールのスタッフとして働く予定です。
協力隊員の少なくない人がきっとそうであるように、僕も不思議な縁で今こうしてここにあり、そして春からはまた新たな生活が始まります。

放課後の日本語教室

青空教室

フィリピンには「理数科教師」という職種で派遣され、日本で言うところの教育委員会で指導主事と一緒に仕事をしていました。研修をコーディネートしたり、学校を巡回したりというところを活動の軸としながら、それでも自分なりに問題意識を持って、出来ることはなんでも積極的にしました。職場の隣の学校で日本語教室を放課後開いたり、経済的な理由で学校に通えない子ども達の為に土曜日や夜間に理科や算数を教えたり。
中でも印象に残るのは「小さなハートプロジェクト」というJOCA(青年海外協力協会)が主催するプロジェクトに応募し、日本で支援金を30万円集め、小さな島の学校にバイオガストイレと豚舎を作り、循環型ライフスタイルを学校を通じて提案したことです。

今改めて、協力隊の経験が僕に与えてくれたものはなんだったのだろうと考えると「良い意味での諦めと開き直り」かもしれません。思うように事が進まなかった2年間の経験と、それでも何かかけがえのないものをいただいた出会い。帰ってきて程よく肩の力が抜けているような、頑張っても思うようにいかないことと、やっぱり頑張った分だけ還ってくるというそのバランス感覚を磨かせてもらったように思います。
今目を閉じても、地域に子どもたちがたくさんいて、子ども達は子ども達で勝手に遊んで、昔の日本のようにガキ大将がいて、子どもたちの社会がそこにしっかりとあって・・・という情景が浮かびます。

大学時代を過ごした鳥取に農業教員として戻って

さて、僕は帰国してからは鳥取の農業高校で農業教員として働かせてもらっています。鳥取での経験は「学びとは」ということをとても考える時間となりました。
僕が対峙している生徒たちの多くは、登校しても授業に対するモチベーションは低く、先生に対して、教科書に対してアレルギー反応のあるような子たちです。授業がつまらなくてずっと机に突っ伏している生徒、先生の言っていることは理解できないけどとりあえず辛抱強く椅子に座っている生徒、等。1日の大半を過ごす学校で、多くの時間を無駄にしているように思ってしまうのです。
先生は先生で授業に気持ちが向いてない生徒になんとか気持ちを向かせようと一生懸命モチベーションを上げようとすることに消耗してしまう。僕自身も同様で、なんとも大きな葛藤と闘う数年間でした。

本来「学ぶ」ということは、知的好奇心を充足させるとても気持ちの良い行いであるハズです。
僕自身に照らし合わせてみても、学生時代あれだけ特に好きでもなかった「学ぶ」という行為が、大人になってとても楽しい。大人になっての学びは、参考書などとにらめっこしてということもありますが、自分で師匠を作ってその後ろをついて回ったり、自分でトライ&エラーを繰り返しながら体で学んだり、と実に多様。
そう、「学ぶ」「出来なかったことが出来るようになる」「知らなかったことを知る」という体験はとても気持ちの良いことだったのです。僕は不覚にも大人になってそのことを多く感じるようになりました。学校でそれを感じる機会は少なかったような気がします。

森のようちえんとサドベリースクールとの出会い

しかし、帰国して結婚し、妻が鳥取県智頭町にある森のようちえんで働きはじめて、そこのスタッフや保護者と仲良くなるにつけて、「森のようちえん付属学校を作ろう」という勉強会に参加するようになりました。
そこで出会ったのが、アメリカのマサチューセッツ州にあるサドベリーバレースクールです。その学校には、評価もなく、テストもなく、先生もいなく、授業も無い。今まで学校にあって当然と思っていたものが何も無いのです。そんなことがあり得るのか、不登校や学校不適用の受け皿的なフリースクールだろうと思っていたのですが、知れば知るほどそうでないことが分かってきたのでした。
積極的にサドベリースクールを選択するケースも多く、大学進学率は85%、そして卒業生のインタビューでは「今の自分の置かれた環境に満足していますか?」という問いに9割近い人が「yes」と答えている。自分と向き合い、自分の人生を謳歌しているサドベリーの人たち。こんな空間が存在するのかと目から鱗な体験でした。

いつまでも勉強会を重ねていても、何も始まらない、自分たちの子どもはどんどん大きくなる。「やりながら課題が出てくれば解決していくというのが僕たちらしい」というスタンスで2014年4月より週末土日のサドベリースクールを智頭町の新田集落というところで開始しました。

集落に住み、地域に貢献するという挑戦

木登り挑戦中

シカの解体

新田集落は集落全体が「新田村づくり運営委員会」というNPO法人で、とてもユニークな取り組みをしている集落です。
僕も結婚して2年半新田に住み、そこでお世話になりました。集落のみなさんはとても気さくで、盛んにNPO活動をしていたこともあって、外からの人に対しての包容力もありました。
ただ、ここも他の中山間地の例に漏れず高齢化の波に飲み込まれようとしていました。僕は「何かしら新田の為になるようなことをしたい。」と、耕作放棄地で積極的にコメを作ったり、野菜を作ったり。田畑を荒らすシカを駆除するために狩猟免許を取得して、積極的にシカを獲って捌いて食べたり・・・。

「社会にあいた穴を埋める作業が仕事だ。」とある学者先生が言っておられましたが、新田集落でサドベリースクールをすることはとても面白い試みなのではないかと思い至るのは自然な成り行きだったかもしれません。僕たちはサドベリースクールを通じて教育への切り口、そして過疎地域への切り口など色々な切り口で社会に貢献していきたいと考えています。

「何するにしても賛成2割、反対2割、無関心6割」とは新田の長老に言われる言葉です。協力隊時代も同じようなことを感じていたかもしれません。当時は「想い」で行動し、実績を残し認められることに一生懸命でした。今もそう書いてみると、そのようなことかもしれません。
「批判されるのが嫌だったらおとなしくしていればいい。失敗するのが嫌だったらチャレンジしなければいい。」でも、「批判されないこと、失敗しないことが僕の人生の目標だろうか」と問うた時に答えは自ずと「No」でした。

智頭のログビルダーを訪ねて

森で帰りの会

協力隊に派遣される前に聞いた言葉があります。「あせらず、あわてず、あきらめず」。智頭で働き始めてその3つの「あ」に「あてにせず、あなどらず」という2つを足してくれたのは父でした。どこにいてもこの5つの「あ」をときどき思い出しながら生活しています。

新田で生活していた時にはとても満足して満たされた気持ちでした。
1つ、そこで子育てするにあたって気になったのは「子どもが近所に少ない。」といったことです。今ではサドベリースクールを利用してくれている子どもたちの声が新田集落に響くようになりました。
「子どもたちの声が聞こえてくると元気になる。」と新田のおばあちゃんが僕に言ってくれたことがあります。とても嬉しかったです。

社会を作るのは人間です。地域を作るのは人間です。新田にある、日本の田舎に残る良いものを子々孫々伝えていけたら・・・そんな風にも考えています。