マラウイの少年と隊員が再会 約30年ぶりに改めて伝えた感謝

【画像】今年7月、マラウイより来日した研修員から、約30年前に出会った2人の青年海外協力隊員と連絡が取りたいとの相談がありました。JICA中国で青年海外協力隊OBの情報を確認したところ、その2人の連絡先が判明。研修員の東京滞在中に、再会が実現しました。

薄れない記憶と恩師の名前

「都市上水道維持管理」の研修で来日した、マラウイのセダさん。JICA中国に来てすぐ、フロントでメモを手渡し「この2人の日本人に連絡が取れたらうれしい」と相談しました。メモには、ローマ字のフルネームで書かれた日本人名が。そのとき対応したスタッフが「明瞭な日本語の発音で、2人のお名前がはっきり聞き取れました」と驚くほど、セダさんにとって大切な人…。その2人とは、セダさんが15歳のとき、中等学校で様々なことを教わった恩師、青年海外協力隊の隊員、松岡洋一さんと塚田雅人さんでした。

中等学校で日本人恩師から学んだこと

1982年、教員の数が足りないマラウイの中等学校に、理数科教師として赴任した松岡さん。翌1983年には、塚田さんが赴任。当時のマラウイでは、小学校を卒業できる子どもは半数以下で、中等学校へ進学するのは、ほんの一握りの優秀な生徒に限られる状況。現在、秋田の中学校に勤務する塚田さんは「マラウイの生徒は、日本の生徒と違って、学問に対する目の輝きが違いましたね。純粋に、学びたいという気持ちにあふれていました」と当時を振り返ります。
2人と会ったときのことを鮮明に覚えているというセダさんは、「日本から来た人に教わるのは難しいかも」と不安を感じたそうです。しかし、課題を与えるだけで、理解しているかどうかに気を配らない従来の指導と、2人の授業は全く違いました。「とても教え方が良かった。特に数学の魅力に気付かされた、心豊かな時間だった。数学が得意になったし、大学入試の面接では彼らから教わった内容がそのまま出てきたんだよ」と、興奮気味に話してくれました。

学校外でも大切なことを教わった2年間

現在、マラウイの中央水道局に勤めるセダさん。「学校外でも気さくに声を掛けてくれる松岡さん、塚田さんにとても親しみを感じた。彼らのそんな姿勢から、人への接し方についても学んだ。互いに尊重し、密に関わることの大切さは、今の仕事でも生きている」と力を込めます。
隊員の宿舎に遊びに行ったり、教会や買い物に一緒に行ったりしたというセダさんたち。マラウイでの生活に不可欠な現地語「チチェワ」を教えるくらい仲良く過ごしたそうです。
そんな2年間を「平和主義でフレンドリーな国、マラウイでの生活は楽しくあっという間。不愉快な思いをすることは一度もなかった」と松岡さんは回顧します。

約30年の時を経て 感動の再会

約30年ぶりの再会 固く手を握り合うセダさん、松岡さん、塚田さん

塚田さんから贈られた風神雷神が描かれた扇子を手に

今のようにインターネットが普及しているわけでも、通信事情がよいわけでもなく、それぞれ2年の任期が終わって日本へ帰国した2人とは、ずっと連絡を取ることはなかったというセダさん。しかし、進学し、就職してからも、人生において大切なことを教えてくれた松岡さんと塚田さんのことを忘れることはありませんでした。
そんなセダさんの気持ちが通じたのか、今回、JICA研修員としてセダさんが来日。松岡さんと塚田さんにも連絡が取れ、約30年ぶりの再会が実現したのです!
限られた時間でしたが、ハグと握手を交わし、互いに近況を報告した3人。当時のマラウイでの写真を見ながら、いつの間にか「チチェワ」で会話をするシーンもあるなど、一瞬にして恩師と教え子に戻りました。
「今の私があるのは、あなたたちのおかげ。あなたが私をここまでにしてくれた」と感謝を伝えたというセダさん。松岡さん、塚田さんも、思いがけない教え子との再会に、感謝と感動でいっぱいでした。3人それぞれが「時間が足りなかった」「あっという間だった」と振り返るほど、素敵な時間だったようです。

「この日の再会のことは、マラウイの学友たちにすぐに報告したよ。いつか必ずマラウイに来てもらおうと決めたんだ」と笑顔で話すセダさん。「Very Happy!本当に幸せだ。自分を送り出してくれた職場、JICA関係者、全ての人に感謝したい」と、静かに振り返る言葉が印象的でした。

恩師として 青年海外協力隊OBとして

【画像】大学時代にボランティアをしていた塚田さんは、青年海外協力隊こそボランティアの頂点と思い、志願しました。「マラウイに行っていなければ、平凡な教員人生だったかも」と話します。セダさんとの再会を振り返り、「派遣先で、橋や道路のようにカタチに残るものを作って帰国する隊員たちを見るとうらやましく、自分は何を残したのだろうと思うことも、正直ありました。でも、マラウイでの2年間は、生徒たちにとって大きな意味があったと感じ、今は教師冥利につきると思っています」と語ります。

現在、愛知県の特別支援学校の教員である松岡さんは、時々マラウイのことを生徒に話すそうです。「折り紙などはとても下手で不器用だったけれど(笑)、真面目で能力の高いマラウイの生徒たち。今の活躍に、多少なりとも力を貸せていたのならうれしいです。マラウイでの2年間は、私にとって宝のような時間でした。もし、青年海外協力隊に応募しようか迷っている人がいたら、絶対応募したほうがいい。きっと、一生の宝が見つかると思います」と話してくれました。

「ウォームハート オブ アフリカ」、マラウイ。
青年海外協力隊の隊員と、現地の少年が紡いだあたたかい交流は、約30年の時を経て、素晴らしい時間をもたらしてくれました。