お父ーさんの背中と、大地だけでも!( NGO南米ひとねっとハポン 代表 原屋文次)

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NGO南米ひとねっとハポン 代表
原屋文次

日系シニアボランテイアとしての活動

「障害のわが子を先頭に、物乞いして歩く家族」
「障害を家族の飯の種にする?」
7年前、南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで見たある家族の光景は、それまで私が思っても見なかったものでした。
当時私は、JICAの「日系シニアボランティア」として、アルゼンチンにおける日系社会の高齢者福祉活動のために活動していました。
しかし、高齢者だけでなく、障害児の相談も舞い込むことがありました。
そのような中、2歳の障害児Mちゃんと出会いました。ほとんど動かなかった両足が、私のアドバイスで動くようになりました。
そして、Mちゃんのお母さんは、「原屋さんのアドバイスは親の生き方も変わるよ」と、瞬く間に、周りの障害児の親とともに、「エスペランサ(希望)」というグループを作りました。
2年の任期もあとわずかとなり、「発達学習会」を何回か開きました。参加者はドンドン増え、日系人(アルゼンチンの日系人の大部分は、日本語が話せませんが)だけでなく、現地のリハビリ関係者や医者の姿もみられました。

障害児教育との出会い

実は私は、35歳のさきに脱サラして保育者となりました。そして、斉藤公子先生の奇跡とも思える障害児保育の実践に出会ったのです。この保育に自分の人生を賭けようと、既に高名であった斉藤公子氏のもとで、妻からのわずかな仕送りをやりくりし、窮乏生活を送りながら、1年半、研鑽しました。

先生のメソッドを2、3行で述べるのは失礼とも思いますが、その中心は、「固体発生は、系統発生を基本的にくりかえす」というものです。つまり、「人間の胎児は、生命の40億年の歴史をなぞって生まれてくる」という学説を、障害児保育に独創的に応用し、「いっけん原始的な動きを、遊びとして保育に取り入れて、障害児の発達を獲得する」という手法なのです。

例えば、乳幼児を、四つんばいになったお父さんの背中に仰向けに寝かせ、少しずらしてやりますと、ずり落ちないように身を反転し(ちょうど時計の針を戻すように)身をよじらせます。これは障害児の発達にとって非常に大切な動きなのです。
こうした考えを一言で表したのが、「お父ーさんの背中と、大地さえあれば」という言葉で、「ひとねっとハポン」のスローガンにもなっています。

NGOの立ち上げ

その後、郷土(松江市)の院内保育所に勤め、45歳からは医療の現場で働いていた私でしたが、アルゼンチンでのこうした体験のなかで、「斉藤公子氏のこの手法を、世界が待っているのでは」「物や金に頼るのでなく、家族やボランティアの力でも、障害児の発達が保障できるのでは」という強い思いにかられました。

アルゼンチンでは、「原屋さんなら、私たちを見捨てないよね」の声と涙におくられて2002年7月に日系シニアボランティアの任期を終えて帰国。それからちょうど1年後の2003年7月13日、夫婦2人の小さなNGO「ひとねっとハポン」(「ハポン」とはスペイン語で「日本」を意味する)を立ち上げました。(現在、会員数75名)
働きながら、そして当面日本にいて出来ること、ということで、その後3年間アルゼンチンから2名を独自に招聘・研修を行い、もう1名をJICAの日系研修員として招聘しました。

本格的な活動の開始

そして昨年秋、代表である私が定年を前に退職しアルゼンチンにわたり、4ヵ月間事前の調査と活動をおこない、この4月からいよいよ本番の活動(JICA草の根技術協力事業)に突入しています。
その内容は、「南米の、主として貧困層の障害児の発達の支援」をテーマに、
(1)ブエノスアイレスに、「障害児の発達指導(通園)のセンター『ぽこあぽこ』」を立ち上げる。(「ぽこあぽこ」とは、「すこしづつ」という意味のスペイン語です)
(2)ここを拠点に「発達講座」を今年、来年にかけて行い、延べ20名程度のボランティアを育成すること。
(3)ブエノスアイレスのスラム(貧困地区)の青年にメソッドを学習してもらい、スラム内の独自活動に生かしてもらう。
(4)熱帯の北部の先住民(インディオ)の障害児の調査をおこなう。
(5)技術移転者を3年間で2名つくる。
という活動を現在展開中です。

今、アルゼンチンは真冬。風邪をひかずに身の丈で、やっていきたいと思います。

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障害児学習(研修)センターへの参加者たち

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講座の最初はゾウキンがけ。この国の若者は当然初体験

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亜熱帯地方の先住民障害児実態調査

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ブエノスアイレスの貧困地区。ここに住む複数の青年が「発達講座」に参加している

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アルゼンチンのNGOスタッフ