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【研修レポート】日墨戦略的グローバル・パートナーシップ研修計画in広島〜マツダミュージアムと広島平和記念公園を訪問しました〜 Vol.2

2016年4月4日

【画像】日墨戦略的グローバル・パートナーシップ研修計画による33名の研修員は3月7日に来日し、約7週間、名古屋に所在するJICA中部にて日本語研修を受講後に、各研修員の専門分野の研修を受ける予定になっています。今回の広島訪問は2泊3日の日程で実施しました。広島での研修はどのようなものだったか、3月25日の研修の様子を紹介します。

平和研修スタート

「地球平和監視時計」

「広島平和記念資料館」内部

「原爆死没者慰霊碑」。原爆犠牲者の霊を雨露から守りたいという想いから、屋根の部分がはにわの家型をしています

「原爆の子の像」の後ろには折り鶴置き場があります

平和記念公園に到着。まずは、広島平和記念資料館から見学しました。資料館の入口には「地球平和監視時計」があり、上下2段で日数表示がされています。1段目が「広島への原爆投下からの日数」、2段目が「最後の核実験からの日数」を表しています。この日は、1段目が25799日、2段目がわずか79日。この数字がリセットされないことを祈るばかりです。資料館の中は、音声ガイドで各自見学。じっくり見ていて時間が足りなかった人、折り紙で鶴の折り方を習った人など、思い思いの時間を過ごしたようです。

次に向かったのは、「原爆死没者慰霊碑」。広島平和記念資料館と原爆ドームを結ぶ直線上に設置されています。中央の石室には、亡くなった原爆被爆者すべての氏名を記帳した名簿が納められています。

「原爆の子の像」は、一人の女の子の存在をなくしては語れません。彼女の名前は佐々木禎子さん。2歳のときに原爆に遭い、爆心地から1.6kmの距離いましたが、禎子さんはかすり傷一つ負わずに助かりました。しかし10年後のある日、禎子さんは白血病で倒れてしまうのです。原因は10年前に投下されたあの原爆です。
入院した禎子さんに届いたのは、色とりどりの折り鶴でした。その美しさに感動した禎子さんは、病気を治したいという願いを込めて折り鶴を折るようになりました。
「折り鶴を1000羽折れば願いがかなう」禎子さんは一生懸命折り鶴を折ったそうです。
しかし願いは届かず、禎子さんは亡くなりました。
それから禎子さんの同級生たちが、「原爆で亡くなった人たちのために、像を作ろう!」と呼びかけ、3年がかりの運動が実り、1958年5月5日「原爆の子の像」が完成しました。
研修員から「佐々木禎子さんは最終的に何羽の折鶴を作ることができたのか?」という質問がありましたが、1300羽以上といわれています。

世界中の人に知られている「原爆ドーム」。ユネスコの世界遺産には、広島平和記念碑という名称で登録されており、「二度と同じような悲劇が起こらないように」との戒めや願いをこめて、負の世界遺産と呼ばれています。

最後に広島の原爆の「爆心地」も見学しました。現在は、モニュメントが建てられています。少し駆け足の見学となりましたが、これから講義に向かいます。